まこグッズの販売開始しました。

松本 知彦 for Private Time/2014.04.30/仕事仕事

このブログでは今まであんまり宣伝などはしてこなかったのですが、今回はちょっとだけ友人の宣伝です。
今digビルの3階で開催されている「まこという名の不思議顔の猫」の展覧会に合わせて、SPACE8のサイトでもまこグッズの販売を開始しました。
↓↓ここをチェック
SPACE8 Online Store

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連日多くの人が訪れていますが、今回の売れ筋はキーホルダー。
このキーホルダーふかふかしていて気持ちよく、まこ好きならきっと欲しくなっちゃうのじゃないでしょうか。
売れてるのがわかる気がします。

imgキーホルダー横型

imgこちらはキーホルダーの縦型

クッションも新作とのことです。
カバーが取り外せて洗えるので便利ですね。
このクッションを部屋に置いておくだけで、日常がほっこり和みそうです。

img一家に1ついかがでしょう?

imgもちろんハガキは売れ筋です。

会期中は用事があってどうしても来られないという方、遠方のため足を運べないという方、展示は見たけどやっぱり欲しくなっちゃったという方、この機会に是非お買い求めください。

会期は5/4までですが、サイトの販売はその後しばらく続けていきます。
お見逃しなく。

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まこという名の不思議顔の猫 展覧会

松本 知彦 for Private Time/2014.04.28/クリエータークリエーター

今、うちのビルの3階SPACE8で、まこの写真展が開かれています。
まこというのは猫の名前なのですが、その筋では相当に知られた猫なのです。
なぜ知られているかというと・・・

imgいまその筋では熱い展示なのです。

まこを取り巻くゆるい日常を綴ったブログがスタートしたのが2006年。
2007年に「まこという名の不思議顔の猫」というタイトルで書籍が出版されると、これが話題になり、変な顔をした猫が世間に知られるようになります。
今までに4冊、まこ関連の書籍が出版されており、猫好きの間でまこは、ちょっと知られた存在になりました。
あれから11年。。。
早いものです。
今回5冊目となる写真集が出版されることを記念して、SPACE8で展覧会が開かれることになったのでした。

img普通の写真展ではないのがおもしろいですよ。

img部屋にいるような仕掛けの展示です。

著者の岡優太郎氏は僕の古い友人です。
もう20年以上の友人。
彼は僕の通う大学とは異なる美大に通っていましたが、よくうちの大学に遊びに来ていたこともあって仲良くなり、卒業後に頻繁に一緒に遊びに行くようになりました。
僕が当時リリーフランキーと組んでいたバンドと一緒に、クリスマスイベントを企画したこともありましたが、それ以外でも飲みに行ったり、クラブに行ったり、DJしたり、当時は毎週のように朝まで遊んでいましたね。
ホントに毎週ベロベロでした。
僕の友人が務める会社の同僚が、その後彼の奥さんになる人なのですが、彼女も含めてホントによく遊びに行きました。
優太郎の親戚のお寺の境内でバーベキューをした時も、イタリア人のジローラモ、クラインダイサム、NYの漫画家など、当時遊んでたネットワークで色々な人が集まって、なんだかわけのわからない会になったり、、今思えばどれも懐かしい想い出です。

img映像作家の大谷さんによるミニプロジェクションマッピングの展示。

imgBALさんによる立体作品。この小屋を作るのに朝から晩まで丸々5日くらいかかってました。

imgたくさんのオリジナルグッズも販売されています。

そんな優太郎ですが、出版社に勤務していた経験もあって、当時からユーザ目線でコンテンツをまとめることに才能がありました。
その頃はロックのコンサートに出かけて、アーティストではなく、来ている客だけを撮影した写真集を自費で定期的に出版していました。
ブログもSNSもない時代でしたから、ユーザに声を届けるには出版しか方法がなかった。
出版としてのクオリティは高かったけど、広告費用だけですべてをまかなうことはむずかしかったようですが、その数年後に、まこの写真集でブレイクして今に至るのでした。
インターネットの出現で確実に情報は受け手に届けやすくなったと思います。
彼を見ていると、今でもバンドをやったり、NPO活動に参加したり、自分でコンテンツを作ってデザインしたり、なんだか昔遊んでいた頃と全然変わっていないというか、本当によい意味で永遠の美大生という気がします。
うらやましいことです。

img岡優太郎と前田敬子夫妻。いつも仲良し。

今回の展覧会、毎日たくさんの人が訪れていて、まこの人気を実感しました。
プロモーションは特にしておらず、ブログで告知しただけだそうですから、やはりみんな大好きなんですね。
すごいことです。
そして会場の展示はめちゃめちゃ作り込まれています。
家が建てられていたり、インスタレーションのような展示があったり、ここでも優太郎のよい意味での美大感覚が遺憾なく発揮されていて、仕掛けがあるもののそこにビジネスな匂いはせず、ストレートな愛情を感じることができます。

展覧会は5月4日まで開かれていますから、ぜひ皆さんお越しください。

西荻窪 nombre(ノンブル)

松本 知彦 for Private Time/2014.04.25/文房具文房具

東京で今熱い街、中央線の西荻窪。
その中でも、もっとも注目を浴びている店の1つがnombreです。

imgかなり小さいお店。

nombreは、水玉と縞々の図案が好きな男女2人がはじめた水縞が経営しているショップ。
この水縞、あっちこっちのセレクトショップに商品が置かれており、今一番ノリにノっていると思います。
Kitteに行っても、スパイラルに行っても、雑貨屋に行けば必ず水縞の商品が置いてあります。
企業や地方自治体とのコラボ商品も多いです。
出している商品はちょっと懐かしくて可愛いものばかり。
いま熱い文房具と雑貨のトレンドをうまく掴んで、オリジナル商品を企画しています。
特に女子なら、ほとんどの人が「へ~可愛い」って思うのではないでしょうか。
こんな商品ありそうだったのに、今まで誰も作ってなかった、そんな商品です。
こういうのを好きなのは圧倒的に女子でしょう。
僕は印刷技法や紙のチョイス、企画そのものを見るのが、刺激的で面白いなあと感じます。

img店は本当にわかりにくい場所にあります。

さて市場で何度も目にする水縞の商品。
彼らが経営するショップは、どんなことになっているのだろう?と思ってショップを訪れる人がほとんどだと思います。
たまたま通りがかった、というのはないでしょう。
そもそも西荻自体、たまたま通りがかるという場所ではないですから。

img狭いお店にたくさんの商品。なんだか昔の駄菓子屋のよう。

ショップはある意味期待を裏切らない。
思いっ切りインディーズなお店です 笑
わかりにくい場所にあって、店はかなり狭い。
専門学校の同級生で、仲の良い雑貨好きな友達たちが集まってやってる小さな雑貨屋みたいな感じ(←あくまでイメージ)
その世界観が凝縮されたインテリアになっています。
中央線的と言えばいいのでしょうか。
それが心地よかったりします。
こういう店の商品が東京中、日本中に置かれて支持されるんですからねえ、時代は変わりました。
僕らの時はイカレポンチとして市民権が得られなかったものが、今じゃ市民栄誉賞までもらう勢いです。
まさにマイノリティこそがマジョリティの時代。

img購入した商品イロイロ

imgコンセプトである水玉と縞々で作られたカレンダーとバッジ。

img47都道府県のクイズが書かれたノート。

imgお約束のスタンプ。

水縞の商品でよく見かけるのは、ポチ袋とスタンプでしょう。
それらも、もちろんショップで扱っています。
この手の店に行くといつも思うのは、商品の包装と店のインテリアが重要だということですね。
かなり冴えてる必要がありますが、水縞も決してそれを裏切りません。
70年代に建てられたと思われる古い建物の1階というロケーションも含めて、ショップはトータルプレゼンテーションの場になってます。

代々木上原 篠原一男の住宅

松本 知彦 for Private Time/2014.04.23/東京東京

代々木上原エリアの建築ラッシュの話は前回書きましたが、今大規模マンションの建築現場は少なくとも2つ以上は確認できます。
これらはどれも大手不動産による開発ですが、元は公官庁や上場企業の寮でした。
リーマンショックを機会に手放したんでしょうね、きっと。
しかし敷地がでかい。

img富山県庁の宿舎と近隣の住宅を壊して、大規模マンションを建築中

代々木上原のエリアは商業地域が少なく、ほとんどが第1種低層住宅地域にあたります。
ですからマンションを建てる場合でも法律上3階までの低層しか建てられないのですが、それでもビジネスとして十分に成立し得るのは、便利なロケーションと周りの住環境が理由だと思います。
郊外ではなく、渋谷真ん中のこんなでかい敷地にマンションを建てるというのは、経済状況が変化しなければ、なかなか実現しなかったことなのでは。
いったい一戸あたりいくらで販売するのでしょうね。

同じ町内にはTVアナウンサーの住む豪マン(豪華マンション)や、イタリアの高価なインポート家具で知られる社長宅、球団も持つIT系企業の社長宅、ラグジュアリーリゾートで知られるホテルの社長宅、百貨店のオーナー宅、観光ビジネス会長の豪邸、そして少し離れたところには世界進出を加速させるアパレル企業の社長宅(桁違いの大きさ)などが点在しています。
そして芸能人・・・・

img小住宅ながら建築史に残る名建築。

さてそんな住宅とは対照的に、同じエリアにひっそりと佇む名作建築を今回は紹介します。
篠原一男先生設計の「上原通りの住宅」です。
1976年の建築ですから、40年前の住宅ですね。
大規模マンションの建築現場のすぐ近くにあります。

知らない人には全然わからないと思うのですが、この篠原一男という人、建築学科の学生なら誰でも知っている、住宅設計では偉大な人なのです。
40年前に建てられたこの住宅も当時は画期的でした。
40年前と言えば、ほとんどが日本的な意匠を持つ木造住宅の時代。
その時代にコンクリート打ちっ放しで、こんな抽象的な空間を作り出す建築家はいなかったのです。
カメラマンの自宅兼スタジオとして建てられたもので、1階はアトリエ、2階以上が居住空間になっています。
構造は2階部分がキャンティレバー(片側だけが固定されている持ち出し構造)で、木のような形をした2本のコンクリートの柱がそれを支えています。
室内にも巨大な日本のコンクリートの柱がむき出しになっている・・・
これは生活するうえで邪魔なのはないかと思いますが・・・
しかし、篠原一男が作り出す抽象的な空間や建築思想は、その後に続く伊東豊雄や安藤忠雄にも多大な影響を与えました。
建築に精神性とか身体性とかを求めるのは古いかもしれませんが、そういう時代だったのです。
同じく篠原一男先生による名作住宅「上原曲がり道の住宅」も代々木上原にあるはずなのですが、こちらはどこにあるかわかりません。

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imgキャンティレバー部分が若干下がってきたと思われます。

同じエリアには、アトリエ系建築家が手掛けたユニークな住宅が他にも点在しています。
以前のブログでも紹介しましたが、千葉学の打ちっ放しのボックス住宅、ADHのカッコいい個人宅、高松伸の地上ゼロ階、地下3階のバブル建物、他にも長谷川逸子や北山恒のいたworkshopのオフィスビル、納谷兄弟の集合住宅、照井信三が手掛けたアパレル会社社長宅、ソニーコンピュータエンタテイメントのビルを手掛けたアーキテクトファイブによる集合住宅、内海智行が設計したグエナエル・ニコラ邸、狭小地に建つみかん組の住宅などなど。
アトリエ系建築家による、こんなにたくさんの建築が見られるのは、代々木上原ならでは。
それらを散歩しながら眺めるのも楽しいものです。

imgみかん組の住宅、みかん組も最近は聞かなくなりましたね。

img80年代に建てられた長谷川逸子先生の古着屋の本社ビル

img顔見知りの山嵜さんが建てたas know asの本社ビル

imgあんまり好きじゃない、アーキテクトファイブの手掛けた集合住宅

戦わない経営

松本 知彦 for Private Time/2014.04.21/仕事仕事

先週会社のビルの3階で新しく入ったスタッフの歓迎会がありました。
プランから進行まで、すべてスタッフにまかせましたが、お花見の時と同様、今回も素晴らしい内容でした。
企画したスタッフを褒めたいですね。
人が集まれば組織ができる、組織に必要なものって何だろう?そんなことを最近考えていました。

img準備されたケータリングのセットです。みんなビックリ。

当り前のことですが、人には色々な性格があります。
普段自分の性格について深く考える機会は少ないかもしれません。
考えてみると自分は、小学校の頃から他人と競い合うことがどうしても得意ではありませんでした。
小学校1年生の時、個人面談で早くも両親は担任の先生からそのことを指摘されていました。
もちろん悪い意味で、です。

imgちゃんとデザインされてて、カワイイですね

この性格は現在でも変わっていません。
他人と争うことが苦手、パワーゲームによる勝負そのものにあまり興味がありません。
今自分が置かれている状況=企業の代表と言う立場で考えても、性格と同じで、やっぱり競合他社やクライアントと進んで戦うことは望んでいないのです。
会社の部署のことを部隊と言ったりしますが、これは軍隊に会社をなぞらえているからです。
私たちは日ごろ敵と戦っているのでしょうか?
そうは思いたくないですね。

勿論、仕事は常に競争です。
コンペをはじめ、受注までの経緯も、価格も、仕事は常に競争にさらされています。
そしてこの競争には勝たなければいけないのは明白です。
でも戦わないで勝つ方法はないだろうか?
担任の先生から小学校の時に両親が言われたように、他人を蹴落とし、勝ち抜くことに価値を見いだせない自分にとって、一番フィットする方法はないだろうか?

imgスタッフのプランニングにより、料理に会社の旗が立ってます。

imgその中に一つだけ違うロゴが。これを食べた人は罰ゲームというのもスタッフの企画。

組織の代表としてではなく、個人的な見解を述べれば、戦う相手は競合先やクライアントではなく、自分自身です。
自分自身で定めた目標、決めたことに対してプライドをかけて戦うべきです。
自分自身が好きだから、自分自身に負けたくありません。
自分が信じたことを貫きたいと思っています。
僕はコンペの時など、常にそう思って今まで毎回やり抜いてきました。
コンペに参加している競合会社を蹴落とすのではなく、自分自身に勝つために戦ってきました。

スタッフ全員が自分に課したミッションをクリアするために、自分に負けないようにがんばれば、必ずよい結果を生むはずです。
しかし、企業内で「自分自身に負けるな」などと言っても、組織論としてはまったく説得力はないでしょう。
むしろ「与えられた目標を達成しろ」というのが普通です。
組織に与えられた目標を達成するためには、自分で自分にミッションを課して徹底的に努力するプロセスが必要なのです。
冒頭に書いたように人の性格はバラバラです。
他人と争うことで、自分らしさを見出す人もいるでしょうし、他者から課題を与えられないと動かない人もいます。
しかし自身にミッションを課して、自分自身と戦うことは万人に必要なスキルだと思います。
戦う相手は外にいるのではなく、まず自分自身なのです。

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小学校の時、担任に指摘された変えようがない性格のまま、戦わずに会社を15年やってきました。
自分のバランスを崩してまで他者と戦う理由は、そこにはありませんでした。
そこに、わずかでも幸せに近づく回答が隠されていないだろうか?
自分が自分らしくあり続けるために、幸せであり続けるために、プライドを賭けて自分自身と戦う。
組織論と相反するかもしれないこの考えのまま、どこまで行けるかわかりません。
でもこれも自分との闘いだと思っています。

このメンバーと一緒に日々模索しながら、成長していきたいと思います。

img少しずつですが、会社は変わっている気がします。

ディープな漫画家二世会

松本 知彦 for Private Time/2014.04.18/私の履歴書私の履歴書

僕の父は漫画家でした。
売れない、誰も知らない漫画家でした。
子供の時からそれが物凄いコンプレックスで、嫌で仕方がなかった。
しかし自分の持つアイデンティティは、間違いなくそこからスタートしています。
よい意味でも悪い意味でも、自分に一番大きな影響を与えたのは、父親でした。
クリエイティブと幸せ、そして経済活動。
やりたいこと、嫌でもやらなければならないこと。
それらが大人になって社会に出た自分にとって、人生における最も大きなテーマでした。

img手塚真さんと一緒に。

僕が仕事をしていくうえで、常に頭にあるのは父親のこと、そう、クリエイティブと経済活動によってもたらされる幸せについてでした。
長い長い間、そして今もそのことが常に頭から離れません。
最終的にどうなったら成功というのだろうか?いったい何のために働くのだろうか?
人によって、その問いに対する回答は違うでしょう。
特異な環境に育った自分にとって、こうした答えの出ない内面の葛藤を共有できる人を探すことはできませんでした。
共有も何も誰にも話せなかった。
父がみんなが知っている売れている作家だったら、自慢できる作家だったらよかったのに、と子供の頃には思いながら育ちました。

5年くらい前、とあるパーティで横山まさみちさんの息子さんに会いました。
僕が人生ではじめて会った漫画家の息子でした。
共通の話題などなくても、会った時から僕は彼にある親近感を感じていました。
ある意味、自分と共通の感覚を持っていたからです。
父親同士が知り合いだったというのも親近感を感じる要因でした。
もちろん僕の父親なんかより、ずっと有名な漫画家の息子なのですが、同じ職業に就いていた今はこの世にいない父親の息子、というだけで、共感できる感覚があったんです。
それが嬉しかった。

img真ん中が横山まさみちさんの息子さん

imgジョージ秋山さんの息子さんと。

彼から漫画家の二世だけが集まる二世会という会合があることを聞かされました。
一緒に行こうと誘われたんですが、そんな会に全然有名ではない漫画家の息子である自分が行くのは場違いだと感じ、、、、、、
でも、ひょんなことで知り合った上村一夫さんの娘さんにも誘われて、今回はこれも縁だと思って行ってみることにしました。
これが・・・・・・
すごい会でした。
店も壮絶でしたけど、来ている人も。
手塚治虫さんのご子息兄妹、赤塚不二夫さんの娘、ちばてつやさんの息子、水木しげるさんの娘、タツノコプロの娘さんたち、ジョージ秋山さんの息子、ビッグ錠さんの息子、そして前述の上村さん、横山さんなどなど、集まったのは漫画家の二世たちだけ20人くらい。
全員が二世なので、横山さんに会った時に感じたような親近感なんて感じる暇もなく、、、、同じ二世というだけで共通の感覚があるはずと勝手に思い込んでいたのは僕の思い過ごしだったのだと思いました。
一人一人とゆっくり話す時間もなかったので、そこまでわかりませんでしたが。
まあ、無名の漫画家の息子とレベルが違いすぎるので、彼らには彼らだけの共通感覚があるのかもしれません。

img赤塚不二夫さんの娘さんと「シェー!」

とても不思議な会でした。
みんなバラバラなのもそうですが、全員が全員異端な感じで、(自分含め)生きていくのは大変だろうなあと勝手に感じたり 笑
父親がビッグネームだと、その子供は大変というのはよく聞きますが、僕にとってはまったく有名じゃない父親の息子と比べれば、天地の差でいいじゃないかと。笑
前述しましたが、有名なら成功か?幸せか?という視点で見れば、単にそれがよいとも言えないという側面もあるかもしれません。
でも僕にとっては、それはやっぱり才能がある人がやり遂げた結果であり、そうした父親を持つことはその子供にとって葛藤はあるかもしれないにせよ、素晴らしいことだと思うのです。

PTAの活動 その締めくくりに

松本 知彦 for Private Time/2014.04.16/私の履歴書私の履歴書

リンタロが最終学年だった昨年の1年間、小学校のPTAの仕事をたくさんしました。
副会長を務めた2年前に続き、振り返ってみると、またまたたくさん働いてしまった1年でした。
やっと終わったのでちょっとレポートすることにしますね。

img2人とも自画像とのこと。男の子の方、笑っちゃいました。

前年度は85周年ということで、去年の今頃にプロジェクトはスタートしました。
鼓笛隊のユニフォームを購入するための売上目標を立て、その実現に向けてまずTシャツの販売を計画しました。
Tシャツのデザインを任されて、販売を告知するために学校の廊下に貼るポスターとチラシを制作。
そのビジュアルとして、リンタロとアンヌ隊員にそれぞれ絵を描いてもらいました。
リンタロは雑誌のレオンを、アンヌ隊員はヴォーグを見ながら描いたので、それぞれのポーズがそれっぽいのが笑えます。
販売活動の結果、在校生数を超える数が売れて、Tシャツプロジェクトは大成功に終わったのでした。
そんな活動の中で僕は副校長先生(昔で言う教頭先生)と仲良くなりました。
色々な話を聞きましたが、そこには彼の学校に関する悩み、現状学校が抱える問題、PTAとしてやってほしい事などが浮き彫りになって、僕は自分なりに考える機会を与えられたように思います。
そして自分が活動に関わっている以上、何かのカタチで役に立ちたいと感じました。
僕がPTAの活動を2年間やって一番感じたのは、この副校長先生との響き合いであり、心で感じる瞬間だったように思います。
副校長先生に会うことができたのが、自分にとって一番大きかった。
心から会えてよかったと思える存在でした。

imgいつものようにオールフリーハンドで描きました。

img水彩で着色したもの。

img冬休みと土日を使って描きましたが、結構時間がかかりました・・・

活動の締めくくりに控えていたのが、85周年を記念する周年誌の制作でした。
児童の父母からなる5人のプロジェクトチームが集まって考えたことは、ありきたりの硬い周年誌を作るのはやめようということ。
その1点で意見が一致して、制作はスタートしました。
集まった5人はその分野のスペシャリストで、この制作プロセスは楽しかったですね。
僕はアートディレクションとイラストを担当しました。
卒業式の1週間前にどうにか出来上がったけれど、お母さんの友人もいないし、学校に行く機会もないのでその評判については、今もあまり聞けていません。
みんな喜んでくれたらなあと思っています。
簡単にできました、って書いているけど、これはなかなか大変な仕事で、、、もう2度とできないでしょう。汗

img完成した周年誌です。

最後に周年誌に使用した写真を展示した展覧会をSPACE8で開きました。
とってもよい展覧会で、自分で言うのもなんですが、活動の最後を締めくくるに相応しい素晴らしい展覧会だったと思います。
いやあ、しかし繰り返しになりますが、こんなことはもうできない 笑

imgポスターももちろんボランティアで。

img子供たちの明るい生き生きとした表情をここでお見せできないのが残念です。

卒業式も無事に終わって、1週間に渡って開かれたSPACE8の写真展も終わって家に帰ったある日、1通のハガキが届いていました。
それは副校長先生からのハガキでした。
小笠原島の小学校に、今度は校長先生として赴任になったことを知らせるハガキでした。
そのハガキには、「SPACE8に行けなくて残念です。周年誌は一生自分の宝物にします。」と直筆で書かれていて、それを読んだ時、なんだか胸が熱くなってしまいました。
先生は表面的にそんな内容を書く人ではないことを、僕は十分に知っているからこそ、
もう涙が出そうでした。
もっともっと話がしたかったです。
先生は、PTAの会合に、もっと前向きに参加する必要性を感じたのは、松本さんの話がきっかけだったと言ってくれましたが、僕こそたくさんの感謝をお伝えしたかったです。
本当に今までありがとうございました。
一緒に活動したいって感じられる人に出会えることは、本当に少ないです。
そんな先生と2年間ともに活動ができて自分はうれしかったなあと、今は思い返しています。
小笠原の小学校は渋谷と全然違うでしょうね。
でも先生のような情熱あふれる校長先生が小笠原にいるなんて羨ましいです。

さようならの挨拶もしないままに、いなくなってしまった先生。
人との別れは寂しいものです。
4月はそういう季節でもありますね。

img校庭から見た校舎を描きました。

リンタロの受験

松本 知彦 for Private Time/2014.04.14/私の履歴書私の履歴書

リンタロの受験が終わりました。
子供の受験というのは家族全員を巻き込んだ一大イベントだということを思い知らされましたね。
そこには色々なドラマがありました。

img発表をWeb上で行うところと、学校へ見に行かなければいけないところがあります。

ここに何度か書いてきましたが、勉強するのが本当に苦痛で仕方なかったリンタロ。
ほとんどやる気を見せることなく、本気で勉強することなく、受験本番になってしまいました。
初日1発目の受験は一応第1希望としていた学校でしたが、早速落ちてしまい、、、、
続いて2日目に受験した学校もすべりました。
いや、勉強してないんだから落ちるの当たり前なんだけどね 笑
全然本気でやってなかったのに、家で泣いているリンタロを見て、ちょっとびっくりしました。
だったらさぁ、なんで勉強しなかったんだよと両親揃って感じた次第ですが、それよりも、、、
泣いているリンタロを見た兄弟たち全員が、可愛そうだと言って、さらに大きな声を上げて号泣してしまい、家の雰囲気は真っ暗になりました 汗

次の試験は2日後に迫っていました。
中学の受験システムは複雑です。
1つの学校で 2回の試験があって、両方受けることも可能ですが、第1志望として受ける学校の場合は1回目を、第2志望の場合は2回目を受けることが多いです。
同じ学校でも1回目の試験の方が比較的通りやすく、2回目は倍率と偏差値がグッとあがります。
どの学校の何回目の試験を受けるかというのが、戦略のカギになります。
リンタロは1回目の受験は落ちてしまったので、2回目しか残されていませんでした。
2回目の方が試験はむずかしい。。
ここからの気合いは素晴らしかった。
はじめて本気で2日間勉強してるのが伝わってきました。
落ちるというリアルな体験を経て、やっとやる気になったようでした。
結果的に、その後に受けた学校は全部受かるのですが、まあ、あれだけ勉強せずに最後の2日間で帳尻合わせるっていうのはある意味才能なのかもしれませんね。

受験する中学は奥さんとリンタロが話し合って決めていましたが、大学まで続いている学校は、受けさせない方針で、大学がくっついている学校は1つも受けませんでした。
大学までつながっていれば、必ずイージーな選択をして付属の大学に進んでしまうというのが奥さんの持論でした。
大学は自分の力で決めるべきというのは、下から進学してきた学生がたくさんいた大学に通っていた奥さんにとって、何か感じることがあったのかもしれないですね。
そうえいえば以前働いていた企業にも学閥があって、同じ大学の卒業生だけが集まる傾向にありました。
そのほとんどが慶應でしたが、まったく異なる傾向の大学に進んだ自分にとって、その光景はある意味羨ましく映ったものです。
下からエスカレーター式で大学に進み、大企業に勤めるならそれでもいいのかもしれないですね。
でも彼らには確実に選民意識のようなものがあって、それは多少気持ち悪かったですが。汗

img受かった夜、叙々苑で焼き肉を食べていたら、会話が聞こえたようでお店から粋なサプライズ

img本当に優しいアンヌ隊員。自主的に手作りの旗を作ってリンタロの帰宅を迎えていました。

リンタロが受かった中には公立の6年制の学校もあって、中学なのに倍率が10倍以上だったのですが、僕はお金も安いし、公立だから多様性があるだろうし、共学だし、それをリンタロに勧めたのですが・・・・
リンタロは私立の男子校を選びました。

img何が気持ちいいって、溜まった受験用のノートやテキストを全部捨てる時です。

僕も男子校でした。
でもねえ、中学はまだいいけど、高校が男子校というのはきついです。
いい思い出が1つもないです。
その話もしたんですけどねえ、でも彼は男子校を選びました。
18歳まではストイックな生活ですね。
まあ、それもいいか。
次の岐路は6年後。
自分の力で進路を決めて欲しい。
学ランに布製の白い肩掛け鞄というクラシックなスタイルで、もう中学に通い始めています。

フジイ 月兎印スリムポット

松本 知彦 for Private Time/2014.04.11/ライフスタイルライフスタイル

ここ2、3年コーヒーがめっちゃ流行ってますね。
何故いきなりコーヒーブームがやってきたのかよくわかりませんが、皆さんはコーヒー好きですか?

imgブームに乗ってこの商品、売れてるそうです。

以前このブログでも紹介しましたが、去年会社の近くにできたフグレンというノルウェーからやってきたコーヒー屋もめっちゃ流行ってます。
あと谷中コーヒー、そして今熱いホリグチコーヒーも3年くらい前にできました。
こんな近所でこうした動きがあるのですから、東京中至る所でコーヒー現象起きていることでしょう。
これって喫茶店を廃業に追い込んだカフェブーム、食パン売ってた旧来のパン屋を駆逐したブランジェリーブームと同じ・・・・ってこと?

imgきっとみんな見たことがあるこの商品

昭和でコーヒーと言えば、喫茶店で黒いエプロンをしたマスターに「ブルマン1つ」って言ったら豆から挽いて煎れてくれた時代。
それが、コーヒーだけでなく、ワンプレートでご飯も食べられるカフェができて(昭和の喫茶店と平成のカフェの差は、モーニングやナポリタンがあるかどうかetc)、アメリカからスタバがやってきて、今度はそれらとは異なる今流行のコーヒー専門店ができて、、、昔ながらの喫茶店はどんどん追い込まれちゃいそうですよね。
おまけに最近ではコンビニで煎れ立てのコーヒーも飲めちゃう。
この3年くらいでコーヒー需要はそんなに増えたのか??
このブログのタイトルにもなってる新宿にあった談話室滝沢が懐かしい。

img底にはFUJIIとMADE IN JAPANの表記

さて、そんな中、家でコーヒーを入れて飲むという人も少なくないのではないでしょうか?
皆さんは何を使ってコーヒーを煎れてますか?
カリタでしょうか?
うちではこの月兎印とケメックスをセットで使っています。
フジイが作るこの月兎印は、発売から80年も経ってるんですよ。
同じ月兎印の名前で野田琺瑯からも同じポットが出ていますが、なぜ同じ商品が他社からも出てるのか、その違いはよくわかりません。
ただフジイがオリジナルで、野田琺瑯は製造を担当しているようです。

imgうちではコンロで直火にかけちゃってます・・・

こんな商品は時流からすれば、どんどんなくなっていくのかと思いきや、思いがけないコーヒーブームと日用品ブームで、また売上は上がっているのじゃないでしょうか?
扱っているお店でも在庫切れ続出です。
本来の使い方は
1、やかんでお湯を沸かす
2、やかんのお湯をポットに移し替えて、温度を下げる
3、ドリップコーヒーを入れる
なのですが、うちでは1と2のプロセスを一緒にして、ポットをいきなり火にかけちゃってます笑
IH非対応と書いてあるので使えないかと思ったら、IHでも問題なくきっちり使えます。

img

imgあと機種によるのかもしれないけど、IHでも使えます。

買ったのは5年以上前ですが、その時はコーヒーの、そして琺瑯のブームなんてまだなかった。
古くて新しい琺瑯という素材は最近の気分ですよね。
野田琺瑯のプロダクツは、見る度にたくさん欲しくなっちゃいます。

デザインは以前このブログでも紹介した、グローバルナイフと同じ山田耕民によるもの。
グローバルナイフ同様、この商品のロングライフデザインも秀逸です。
http://blog.10-1000.jp/cat28/000665.html

BOX&NEEDLE 二子玉川

松本 知彦 for Private Time/2014.04.10/文房具文房具

二子玉川にある箱だけを取り扱う専門店です。
雑誌Penの文房具特集の編集に携わった人に以前このお店のことを聞いて、興味が湧いたのが訪れるきっかけでした。
箱だけの専門店なんてホントに今っぽいというか、目の付け所がいいですよね。
世界初だそうです。

img駅からはちょっと離れたところにあります。

お店の人に聞いてみたところ、京都にある紙材専門加工会社の社長の娘さんが始めたお店とのこと。(同じ大学の卒業生みたいです)
オープンは2009年。
母体は、ニカワを使用して和紙を貼る、お菓子の箱などに使われる「貼り箱」をたくさん作ってきた創業90年以上の歴史を持つ老舗企業だそうです。
ただの箱であっても細部には京都の老舗の技が生きているということでした。
他社と比較するとそれがわかります、と言われたけれど、箱のディテールまでそんなに注意深く見たことがないので僕にはちょっとわかりません。。汗

img当り前ですが、店内には箱しかありません。笑

どんな箱が売られているかというと、色々なモチーフの絵柄の紙やカラフルな紙が貼られた様々なサイズの箱。
京都の職人の手によって作られたオリジナルの箱に、イタリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、ネパール、ジンバブエなど、世界17か国から取り寄せた紙が貼られているそうです。
特にイギリスの19世紀のデザイナー、ウィリアム・モリスのデザインした紙が貼られた紙は特徴的でした。

img2階はこんな感じ。キッチンがあって誰かの家のよう。

img僕が行ったときは、2階で北欧展をやってました。

顧客はほとんどが女子とのこと。
こういうのが好きな女子にはたまらないでしょうね。
好きな女子、たくさんいそう・・・
僕が行った時は、ちょうど北欧の紙の展覧会が開かれていました。
是非どうぞと言われて、靴を脱いで階段を2階にあがると、そこにはキッチンがあってほとんど家のリビング?のようです 笑
聞いたら以前はモデルハウスだったそうで、人の家に来たような空間でした。
この2階で定期的に箱づくりのワークショップを開いているそうです。
二子玉川の文具好き、クラフト好き、そして雑誌編集感覚を持ったニュータイプの文化系有閑マダムたちがやってくるのでしょうね。
でもそんな女子たちのハートを掴むのがなんとなく男子の自分にもわかるお店。
時代の気分にぴったりです。

img自宅用に購入した箱たち。スプン柄の箱の内側には磁石が入っています。

imgショップカードのデザインも洒落てますな。

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