キリンジ/エイリアンズ

松本 知彦 for Private Time/2015.01.29/音楽音楽

独立して間もない頃、コンペで勝ち抜いてHMV JAPANの仕事をさせてもらう機会がありました。
CDを売るECサイトを作る、というプロジェクトでしたが、当時まだamazonが日本に上陸する前で、iTunesもなかったし、音楽がパッケージメディアとして最後の輝きを放っていたギリギリの時でした。

img去年は毎日のように聞いてました。

DAVIDという日本語がまったく話せないイギリス人の取締役と主に仕事をさせてもらいましたが、本当に勉強になったし、楽しい仕事だった。
渋谷のセンター街に建てられたでっかい新しいビル内に6フロアを持つ巨大なHMV渋谷店を立ち上げるプロジェクトにも参加して(今はもうなくなっちゃいましたけど、、、)、店内の全フロアをCGで作ったり、2階で行われるインストアイベントのライブにカメラを入れて色々取材させてもらったのが懐かしいです。
レニークラヴィッツやアンダーワールドにも直接インタビューさせてもらった。
いい経験でした。

そのプロジェクトの1つに、新譜で発売されるCDのレビューを書いて、サイト上で紹介するという業務がありました。
音楽専門ライターの人たちに頼んでいましたが、毎週出るCDは何十枚もあって、時にはとても回せない量の時も。。。
でもタダで毎週新譜が聞けるという、趣味を兼ねたような仕事で楽しかった。

送られてくる大量の新譜のCDの中に、キリンジという変な名前のバンドがありました。
それが僕とキリンジの最初の出会いでした。
いかにもインドア派の文化系と思われるナヨナヨした声は、最初あんまり好きではなかったですが、何度か聞くうちにその曲調、絶妙なコード進行がソフトロックっぽかったり、達郎ぽかったりで好きになっていきました。
兄弟でやっているというのも、どこか謎めいていた。

あれからもう20年近く経っちゃったんですねえ。
弟はバンドを脱退して、今はお兄ちゃんだけが名前を引き継いで別のメンバーとバンド形式でキリンジを継続しています。
それまでまったく気にしてませんでしたけど、弟がバンドを脱退する時に調べてみたら、自分の好きな曲は、ほとんどすべて弟の書いた曲だったということを知ります。
「YOU AND ME」「双子座グラフィティ」「雨は毛布のように」、そして「エイリアン」。
これはすべて弟の堀込泰行の作詞作曲だったんですね。
もしかすると、こんなに素晴らしい曲を一人で書けると自信を持った弟は、兄の元を離れて自身の道を歩みたくなったのだろうか?と勝手なことも思ってしまいますね。



去年フリーソウルから出たキリンジのコンピレーション、これは素晴らしいベスト盤。
やっぱり橋本徹はやりますねえ。
松本家では相当なヘビーローテーションになっています。

小さな夢の実現 ロンドンへ その4

松本 知彦 for Private Time/2015.01.27/私の履歴書私の履歴書

前回の続き

「知彦、これ進めてくれるか?」
すべてはこの言葉から始まりました。
既に寝たきりになっていた父は、単行本「たばこ屋の娘」の出版を、息子である僕に託したのでした。
しかし、僕にはこの言葉が「たばこ屋の娘」の出版だけでなく、それ以外の何かを息子に託そうとする言葉のように聞こえてならなかった。
それまで一切家族に話さなかった、触れさせなかった自分の仕事を、初めて息子に依頼した言葉だったからです。
父が仕事のことを僕に自分から話したのは、これが最初で最後でした。
とても短い言葉ですが、僕にとっては特別な響きを持った言葉のように聞こえたのです。

img「たばこ屋の娘」に収録されている「花の新宿」

img2年前に出版されたフランス語版「たばこ屋の娘」

img昨年出版された「花の新宿」の英語版

思えば僕は、家族として接する父の姿しか知りませんでした。
父の仕事について、家庭での父親として以外の彼について、まったくと言ってよいほど知らなかった。
家庭内で、マンガの本や仕事の話はタブーであり、父親は、家族を仕事から常に遠ざけようとしていたように思います。
亡くなる3ヶ月前に聞いた言葉によって、それがゆっくりと動き出した。
父のことを調べていく過程で色々なことを知り、父が残した作品をカタチにしよう、そんなことを考えるようになりました。
その想いは最終的に、小学館からの作品集の出版へと繋がっていきます。

しかし本を作りたいという気持ちがあっても、1つの大きな課題がありました。
作品を掲載して見せるだけでは、伝わらない部分があるということ。
それは作品が世に出てから、60年も経過していることに起因しています。
発表当時、いくら革新的な表現であったとしても、その後に登場した多くの作家によって模倣され、磨かれ、進化し、現代では極めて当り前の手法になってしまっているという問題です。
作品を見せただけでは、多くの人には、ただの古臭いマンガとしてしか映らない。
それは名作と言われる1950年代の古い映画を見ている感覚と同じでしょう。

作品が発表された当時のインパクトを伝えるためには、どうすればいいだろう?
そのヒントは、父の生前のインタビューの中にありました。
「作品が登場した時の斬新さは、当時リアルタイムでそれを見た人、体験した人の言葉を羅列することでしか現代の人に伝えることはできない。」
当時リアルタイムで父の作品を読んでいた人に会おう、その考えに至ったのは自然の成り行きでした。
しかし、父の仕事に対してまったく感知していなかった自分にとって、この進行は相当に大変なものとなります。
当時誰が父の作品を読んでいたのか、その中で誰に会いに行けばよいのか、彼らの名前も、住所も連絡先もわからない、それを調べる作業からやらなければなりませんでした。
まったく知らなかった父の仕事、息子が知らなかった父親の違う側面、1枚1枚ベールを剥がすような作業は、驚きと発見、そして郷愁が混じり合う不思議な体験になったのです。

すべてを手探りで進めなければならない作業は、非情に時間がかかる上に困難で、諦めようかと思ったこともありました。
そんなとき、何度も助けられた言葉があります。
この言葉があったからこそ、本を作る気持ちを持ち続けることができた。
迷ったとき、いつもこの言葉に立ち返って、自分がやっていることは間違っていない、そう確信して再び前に進もうという気持ちになれました。
常に僕を勇気付けてくれた。

img1978年に書かれた桜井さんの本。

imgその中に父を紹介している記述があります。

以下抜粋
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毎日新聞のベストセラー調査で3位に入った松本の作品は、「サボテンくん」と言った。
僕や辰巳が八興に寄稿していた作者たちの中でもっとも興味を持ち、影響を受けたのは彼の作品だった。
松本の作品は、新人作家が誰でも持っていた手塚治虫の影響からも既に脱し、独自の表現領域に足を踏み入れつつあると感じられたのである。(中略)
現在の劇画の手法は松本のマンガからはじまり、中間で多くの作者の工夫の積み重ねからなっているのである。
僕は何事も革新は出来上がった秩序の修正や手直しからは生まれず、どろどろとした異端なものの中から発芽するものだという確信を持っている。
その意味で、松本正彦は現在の劇画に至る当時のマンガの真の革新者だったと言いたいのである。
(桜井昌一「僕は劇画の仕掛人だった」 1978年 エイプリル出版)
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マンガ家であり、評論家であり、辰巳ヨシヒロさんの実兄、劇画工房のメンバーでもあった桜井昌一さんの言葉でした。
父がいなくなったあと、父親の部屋の本棚にひっそりと差し込まれていた1冊の本の中に、この言葉を見つけた時は、とっても嬉しかった。
大いに勇気付けられました。
桜井さんは既に亡くなられていましたが、住所を調べて、お宅にお邪魔させていただきました。
桜井さんの奥さんにお会いして、当時の貴重なお話を色々伺う中で、奥さんが父の母親(僕の祖母)とも交流があったことがわかって嬉しかった。
仏壇にお線香をあげながら、僕はあることを感じていました。
父が僕をここへ来させたのかもしれない、僕は父の代わりにここへ来たんだ。
仏壇の前で、ありがとうございますと桜井さんに伝えながら、きっと生前父もそう思っていたに違いない、と心の中で感じていました。
続く・・・

その1はこちらから。

その2はこちらから。

その3はこちらから。

オリジナルラブ/月の裏で会いましょう

松本 知彦 for Private Time/2015.01.22/音楽音楽

僕が大学を卒業する頃に、GSブームというのがありました。
GSってあのGS、そうグループサウンズのことです。
多摩美で活動していたファントムギフトというGSのバンドが有名でした。

その周辺には他にもたくさんのバンドがいて、モッズやガレージパンクを巻き込んで、インディーズながら1つの大きなブームになっていました。
彼らが志向していたのは60年代の英国音楽、またはアメリカのガレージサウンドやサーフロック、はたまたシュープリームスのようなガールズグループでした。
それらを当時のファッションフィルターを通して、彼らなりに昇華した音楽。
マニアックなレコードコレクターたちが志向する音でしたね。
ワウワウヒッピーズ、トゥエンティーヒッツ、ストライクス、コレクターズ、GOGO3、ペイズリーブルーなどなど、現在も活躍するバンドも含まれていますが、彼らはよく新宿JAMに集まってライブを行っていた。
僕も友人に誘われて見に行ったものです。

img車の中で聞いてます。

その中にオリジナルラブがいました。
GSやガレージのブームの中にオリジナルラブが混じっていたのは、ちょっと変な気もしますが、当時はファントムギフトと一緒によくライブをやっていましたね。
しかし、GSのようにレトロ志向の固定フォーマットを持たないオリジナルラブは、GSブームから抜け出し、少しずつメジャーへと移行して行きました。

当時渋谷のファイア通り沿いにHiFiという中古レコード屋があって、オリジナルラブの田島さんはそこでアルバイトをしていた。
彼が働いている時に僕もレコードを買いに行ったことがあります。
そんなGSブームの後期には、ファンクやジャズ、レアグルーブをベースにした多くのバンドが登場します。
イギリスではACID JAZZのブームが起きていました。
ワックワックリズムバンド、クールスプーン、クルーエルレーベルに所属するバンドたち(僕もその中の1つで演奏していたことも)、その中でもエリーが英語で歌うラブタンバリンズは物凄く売れた。(カヒミカリィも売れたけど)
やがてそれらのバンドは渋谷系と呼ばれるようになります。
GSブームから出てきたオリジナルラブも、なぜかこの渋谷系に括られていました。
最終的に同じ大学の後輩であるフリッパーズギターと、青学出身のピチカートファイブの登場によって「渋谷系」は全国に広まっていきます。
田島貴男もピチカートに加入していた時期もありました。
でも僕はGSブームと渋谷系は、基本的に別モノだと思っています。
まあ、渋谷系っていうのはHMVが勝手につけた括りですが。



ちょうどその頃、松雪泰子が主演する「バナナチップスラブ」という深夜番組が放映されていました。
その番組の主題歌が、オリジナルラブの歌う「月の裏で会いましょう」だった。
GSから出てきたオリジナルラブが、メジャーシーンで最初にヒットを飛ばしたのがこの曲だったと思います。
僕はこの歌が大好きでしたねえ。
数年後、英国からブランニューヘヴィーズが来日した際、前座を務めた彼らのライブもよく覚えています。
つい最近FREE SOUL(こちらも20周年)でオリジナルラブの90年代のコンピが出ました。
今聞いてもまったく色褪せない音、よく聞いています。

寄生獣 前編 2014

松本 知彦 for Private Time/2015.01.20/映画映画

会社を作って間もない頃、一番最初に受注した仕事が、講談社のモーニングという漫画週刊誌のサイト構築でした。
全然実績のない小さな会社に、メジャーな大手の出版社が、しかもみんなが知っている本に関連する仕事を直接発注してくれたことが当時とても嬉しかった。
サイトを作った後、毎週雑誌発売と同時に情報を更新する業務にはじまり、本誌のページデザイン、はたまた単行本の装丁、マンガCD-ROMの制作まで色々やらせていただきました。
毎週タダでマンガが読めるというのも、(僕は置いておいて)スタッフにとっても楽しい仕事でしたね。

img20年ぶりに全巻読みましたが、面白い!

その頃モーニングに連載されている中で人気のあったマンガといえば、「沈黙の艦隊」「課長島耕作」「えの素」などでした。
会社設立と同時にその業務を受注して、以後11年間ずっと担当することになるのですが、後半になると「バガボンド」が人気だった。
そんな中で、ちょっと異質なマンガを目にします。
それはアフタヌーンで連載を開始する「寄生獣」という作品でした。
うちのスタッフもそうでしたけれど、一部の間に熱烈なファンがいました。
人にエイリアンが寄生して人を食べるという、ストーリーの詳細までは覚えてなかったけれど、映画化されたということで見に行きました。

img予想に反して映画もかなり面白かった。

img結構マンガを忠実に映像化してるんですね。

img一番最初に寄生獣が人間を襲うシーンは、ほぼマンガと同じ。

マンガが原作の映画って面白くないものがほとんどなので、まったく期待していなかったのですが、これがかなりおもしろかった!
思わず、もう1度単行本を全部買ってしまいました。汗
20年前の追体験です。

感じたのは映画「遊星からの物体X」からの影響です。
当時もそう思っていましたが、映像になるとなおさらそれを強く感じました。
大学生で、この映画を見た時は本当に震え上がってしまった。
「遊星からの物体X」のストーリーは、南極探検隊の1人がエイリアンに襲われるのですが、このエイリアンは襲った人間のカタチになる=寄生するという特性を持っており、外見は人間とまったく同じで区別がつかない。
南極という外部から遮断された場所で、隊員同士、誰がエイリアンなのかわからないまま、1人また1人とメンバーが減っていくという話です。
人が食われるシーンが恐ろしい。。

imgファーストコンタクトの1シーン。もうほとんど寄生獣です。

「寄生獣」では、寄生された人の髪の毛を抜くと、抜いた後にも毛が動くというのがエイリアンを見抜く方法として紹介されますが、「遊星からの物体X」では血に熱を加えると動物のように逃げる反応をするというものでした。
他にもエイリアンは人を食って寄生するというコンセプト、2人きりになった時だけ正体を現わすなど、類似点が多くあります。
ジョン・カーペンター監督の「遊星からの物体X」の公開は1982年、「寄生獣」の連載は1988年ですから、間違いなく「遊星からの物体X」にインスパイアされて制作されたものでしょう。

img「遊星からの物体X」は、画像でも恐ろしすぎ・・・・

この「遊星からの物体X」は、2012年にその続編「遊星からの物体X ファーストコンタクト」が公開されました。
これも見ましたが、CGの技術は格段に上がったものの、ストーリーは最初の方が面白い。
心理描写の緊張感がハンパじゃないです。
「寄生獣」は、「遊星からの物体X」にいくつかのヒントを得て作られているものの、そこに親子愛や恋愛というテーマを重ねていて、特撮シーンもグロくないので、楽しく見ることができます。
子供でも大丈夫。


原作もよいですが、「寄生獣」は是非映画館で見て欲しいです。
そのあとに、「遊星からの物体X」もDVDで是非。
4月に公開される「寄生獣」の後編が待ち遠しいですね。

JAPANESE DANDYに自分の写真が・・・

松本 知彦 for Private Time/2015.01.15/本

僕と同じ大学の卒業生で、色々な業界に精通していて、その筋(どんな筋?笑)に多くの知り合いを持つセンパイがいます。
アートから政界まで、多方面に知り合いがいるスゴイ先輩なのですが、ある日そのセンパイからfacebookにメッセージが届きました。
センパイの知り合いで、クラシコ系の洋服にとっても造詣の深い人がいて、趣味が高じて今度はオシャレな人を集めて写真を撮っていると。
洋服が好きでこだわってる人を探しているので、そのモデルにならないか?という話でした。

この話を聞いたとき、勝手にクラシコ系という単語だけがアタマの中で大きくなってしまい・・・。
僕は特定のカテゴリーに縛られずに、自由に洋服を着るので、クラシコでは全然ないし、むしろイタリアに傾倒した格好をする機会はほとんどなく・・・
もらった文面から感じたのは、ナポリやフィレンツェにあるテーラーのハンドメイドのスーツを愛する人たちを探しているのだろうという印象でした。
なので、自分はまったく適任者ではないなと感じて、ありがたい話なのにセンパイには申し訳ないのだけどお断りすることにしました。
自分で言うのも変ですが、僕は常に自分流だから異端だし、造詣の深いその筋の人たちのカテゴリーに入るなんておこがましいというか、、(入れるわけもないし、、、)逆に申し訳ないと感じたのでした。

imgある日、立派な本が届いてびっくりしました。

それが2013年の6月のこと。
それから数ヶ月経って、伊勢丹メンズ館の10周年パーティに行った際、ある男性から声をかけられました。
最初は仕事か何かの知り合いかと思いきや、ファッションポートレートの写真集を作っているとのことで、それの被写体になってもらえないか?という話でした。
ん??どこかで聞いたことがある話だぞ・・・・
そう、それは数ヶ月前にセンパイからお誘いを受けた話と同じ内容。
話してみると、センパイの言っていた知人がこの男性だったと言う、、、世間は狭いものですね。
既に100人近く撮影は終わっているけれど、直接声をかけたのは僕で2人目とのことでした。
話を聞いていくと、クラシコの写真を撮っているわけではないようで、僕の勝手な思い込みだったことが判明。
直接説明をお聞きして誤解が解けたこともあって撮影を了解、1週間後に代官山のスタジオに呼ばれて撮影する運びとなったのでした。
でも既に撮影が終わっている人の写真を見せてもらったら、GQの鈴木編集長、信濃屋の白井さん、UAの鴨志田さんや小木さん、スタイリストのスケザネさんなどなど(知人も数人いたけれど)、やっぱりその筋の人ばかりで、僕で本当にいいのだろうか?と何度も確認してしまいました・・・

あれから2年、先日出来上がった本が自宅に届きました。
まずびっくりしたのはサイズが大きいこと。
10代~90代まで幅広い年齢から独自の視点で集められた130人の登場人物、200ページを越えるページ数、かなり豪華な本なのです。
表紙のモデルはIVYのイラストで知られる大御所、穂積和夫さん。
決して広くはないスタジオで(すみません・・・)、小物も椅子とデスクだけ、バックは布、という同じセッティングで130人を撮影したわけだから、単調な構成になってしまうのではないかと思っていたら、こちらの予想は完全に裏切られて、バリエーション豊富な飽きさせない内容に仕上がっていました。
逆に同じセッティングだからこそ、人それぞれの個性が際立つビジュアルとなっているんです。
そしてファッション写真と聞いていたのに、実際見てみるとまったくそんな感じがしない。
ファッションではなくて日本男児のポートレート写真集でした。

見ていて感じるのは人の品格は顔に出るなあということ。
僕だけかもしれませんが、ほとんど洋服などに目は行かない。
惹きつけられるのはその人の雰囲気、人間力みたいなものです。
人の魅力は、決して高い服を着ているから、お洒落だからという理由ではない、というのを改めて感じさせる内容でした。
この“雰囲気”を構成しているものってなんなのでしょうね?
服もその1つかもしれませんが、それだけでは決してないです。
そして着ている服は高くてもいいですが、高価かどうかはあまり関係がない。
ましてや最初に勘違いしていた、国やクラシコかどうかなどのカテゴリーも、もちろん知っているに越したことはないでしょうけれど、あまり関係がないと思います。
僕はこの“雰囲気”という正体不明なものを創り出している要素は、その人のまとっている情報や考え方が大きいのではないかと思います。
言ってしまえば“生き方”とでも言うのでしょうか。
その人の持っているスタイルですね。
それが顔や、全体の雰囲気に醸し出されるのだと思います。

imgいろんな雑誌やメディアで紹介されてますね。

僕もすっかりおじさんになりました。
若い頃にメンズクラブの街角スナップに出たのを皮切りに、MEN’S EXや他の雑誌から取材を受けて撮影されたこともありましたけど、それとこの写真集は全然違う。
表層ではなくて内面、内面からにじみ出るスタイルがテーマの写真だと思います。
自分の顔やスタイルは自分の履歴書のようなもの、その人の持つ情報や考え方がスタイルに現れるのです。
僕もそんなスタイルに責任を持つ年齢になったと感じています。

皆さんも本屋でこの本を見かけたら、是非ページを開いてみてください。
そこには日本男児の行き様というか、現代進行形のダンディズムの心意気を感じることができます。
(僕のページは別として・・・・汗)
河合さん、今回は色々ありがとうございました。
貴重な経験ができました。

オフィシャルサイトはこちら↓
http://japanesedandy.com/

平林奈緒美のデザイン

松本 知彦 for Private Time/2015.01.13/クリエータークリエーター

書いてから更新が遅れたため、この記事の公開が年を越してしまいましたが、去年多くのショップで平林奈緒美さんのデザインを見かけました。
今や飛ぶ鳥を落す勢いというか、ファッションのグラフィックデザインにおいては多方面から引っぱりダコの平林さん。

img原宿店で限定販売されているniko and…Essential Dictionary。

imgインデックスは黒の厚紙に白インク印刷

中でも以前ブログにも書いた、原宿の明治通り沿いに出来たnico and…の基幹店のプロジェクトは個人的におもしろいなあと感じた1つでした。
ブランドのロゴも彼女のデザインですが、その中でもオープンを記念して原宿店だけで限定発売されているカタログは凝ってて一見の価値はあると思います。
このカタログ、リングファイルの形状で、よく見るとカタログではなくてブランドアイデンティティのツールになっている。
名前はEssential Dictionary。
その名の通り、取り扱っているアイテムに対してniko and…の考え方を書いたA~Zの辞書になっているんです。
単なる商品カタログではなくて、読み進めていくとniko and…のお店や商品への取り組み姿勢がわかるというブランドブックになっているのがおもしろいと思います。

imgアルファベット順に商品カテゴリーの説明とコメントが記載されています。

最近、直接購買に結びつかない部分の制作コストはどんどん削られていく中で、こうしたほとんど直販に結びつかないツールに対してお金をかけるブランドは偉いですよね。
それに応えて面白い結果を出すデザイナーもよい。
1冊1800円と安くないので、そんなに買う人も多くないと思いますが、ブランドの心意気を感じます。
写真を配置したページとテキストのみのページを完全に切り分けて、ミニマルで潔い構成です。

そういえばユナイテッドアローズの2014年の秋冬カタログも平林さんでした。
金色のピッカピカの表紙にシールのみという大胆なデザイン。
男女兼用の内容になってますが、中身のデザインはいつもの通り。
相変わらず日本語が1つも出てこない 笑
スナップ風の写真をフォーマット化したページにレイアウトして、小さい英字テキスト(1種類のフォント、同一ポイント数で統一)を飾りのように配置して全体を構成しています。
ここでも感じるのはストイックでミニマルなデザインということ。

img正方形の写真に小さいテキスト。フォーマット化されたページデザイン。

この手法はブック型のカタログではなくて、ペラの販促ツールの場合も同様。
英国アクアスキュータムがトレンチコートを発明してから去年でちょうど100年だそうで、100年記念のチラシデザインが発行されていましたが、このデザインも平林さんでした。
普通トレンチコート誕生100年とか言うと、必ずトレンチの歴史とか変わらない商品の特長などを説明するはずなのに、相変わらずまったく日本語が出てこない。
絶対に日本語は入れたくないんでしょうね。
ここまで徹底しているのはさすがです。笑
男子と女子の差もあるでしょう。
男子はウンチクや背景にあるストーリーで商品に魅力を感じますが、女子ってイケてればそれでいいわけです。
むしろウンチクはメンドクサくて必要ないもの。
これは女子向けのトレンチコートですからね。

imgアクアスキュータムのトレンチ誕生100周年カタログ

imgタイル状に画像を配置しただけなのにスタイル感じるのは写真の力。

でもこのチラシ、よく見ると日本語の説明があるんです。
なんだ、やっぱり今回ばかりはさすがに日本語使わないと商品の説明ができないものな、って思ってもう1度見ると、商品の説明を方眼紙にプリントアウトして撮影した画像!!笑
やっぱり日本語をデザインの1要素として使うのは、絶対に嫌なんでしょうね。
商品説明はテキストではなくて、あくまで画像として扱っています。

img商品の説明は画像で!笑

今回紹介した3つのツール、用途も版型も違いますが、取られているデザイン手法は同じ。
こういうのを並べて分析してみるのも、今の時代の気分を知る上でとってもおもしろいです。

大好きなパン屋さんがなくなってしまった

松本 知彦 for Private Time/2015.01.09/食べる食べる

昨年末にFacebookの仕様が変更になったようで、シェアされたいいねの数がブログへ反映されなくなったみたいで、2つ前の記事から急に数が減ってしまいました。
う~ん、、なんでだろ・・・別にいいのですが、今までの3分の1くらいになってしまって悲しいです。
Facebookって仕様が勝手にどんどん変わってしまうからなあ。
そういえば去年の年末、1つ悲しいことがありました。
代々木上原の僕のお気に入りのパン屋さんが閉店してしまったことです。
ブランジェリー・プーヴーというパン屋さん。

img最終日のプーブーです。

何度かこのブログにもこのパン屋さんのことを書きましたが、個人的に通っているうちに親しくなって、いつも会うと笑顔で接してくれるお店でした。
思い返せば激戦区である代々木上原で一番最初にオープンしたパン屋さんがこのプーブーでした。
カタネベーカリーより早かった。
そのあと立て続けにパン屋が増えて、いつの間にか代々木上原~公園はパン屋の激戦区になってしまった。
それまでフランスパンを売る店なんて1つもなかったのに、あっという間に人のライフスタイルは変わってしまうのですね。
それとも近辺に新しい住人が増えたということでしょうか?
とにかくパン屋とマッサージ屋は、ここ5年くらい恐ろしい勢いで増えました。
さすがにもうパン屋は増えないけれど、今も毎月のように新しいお店が代々木上原にはオープンしています。
街自体は決して大きくないのに。

img昼過ぎに行ったら、もうほとんどパンはなくなってました。

img僕が描いたお店の絵です。

imgお店の壁にかけられていました。

プーブーは10年くらい営業してたのかなあ。
1度お店をリニューアルする際に、頼まれて絵を描きました。
店内に飾るためというオーダーではなかったのだけど、リニューアルされたら僕の絵が店内に飾ってあって嬉しくなっちゃいました。
そんなこともあって、この街にこのお店がなくなっちゃうのは寂しい気持ちでいっぱいです。
三島の方へ家族全員で引っ越されるとのこと。
あっちでもパン屋で働くそうですから、がんばって欲しいです。

最終日の翌日、奥さんが自宅にわざわざたくさんのパンを届けに来てくれました。
その中には僕の大好きなあげぱんも。
そう、僕はここのあげぱんが大好きだった。
営業最終日に4本注文して取って置いてもらったのですが、それ以上にたくさんのパンを持ってきてくれました。
涙ちょちょぎれちゃうなあ、もー。
ゆっくりあとで食べようと思っていたんですが、、、、みるみる子供たちに食べられて気が付いたら半分しか残っておらず(全体の半分ではなく1本の半分ですよ、、、)さすがにこのときばかりは大きな声を出してしまいました。
8本もあったのに1日でなくなっちゃうなんて・・・
それだけおいしいってことですね。。

imgもー泣けてきちゃうなあ。

新しい地でも元気でがんばってください!
そしてまた、いつの日かあのおいしいあげぱん作って届けて欲しいです。

2015年もよろしくお願いします。

松本 知彦 for Private Time/2015.01.07/仕事仕事

2015年がはじまりましたね。
皆さん、今年もよろしくお願いします。

今年はお正月からインフルエンザに罹ってしまって、個人的にはすっかりスタートが遅れてしまいました。(本日から出社・・・)
年末年始にやろうと計画していたこともできず仕舞いで、体調もすぐれないし、大事な年初だというのに、一刻も早くリカバーしなくてはなりません。
しかし昼間は発熱で寒くて仕方がないのに、夜中布団の中では暑くて汗をかきまくると言う、これは何なのでしょうね。
ホントにインフルエンザなのだろうか?
皆さんも新年体調には気を付けてくださいね。

img今年はオリジナルガムを作ってみました。

そんなわけで、ブログの記事ストックがお正月休みで増えたわけでもなく(汗)、今年の一発目は会社の年賀状を紹介しますね。
今年の年賀状のテーマは、サンクスガムです。
クライアントの方々に感謝の気持ちを込めつつ、皆さんにも大きな夢を膨らませてもらいたい、そんな気持ちを込めてdigでオリジナルのガムを作りました。
色々なことがあった2014年、それら1つ1つを次の年に活かすために噛みしめながら、2015年は夢を膨らませて行きたい、
噛めば噛むほど柔らかくなって大きく膨らむという、フーセンガムならではの特徴を2015年のテーマに選んだものです。
大きな夢の実現は、今までの様々な経験を通過して(よく噛み締めて)こそ成り立つというサブテーマもあります。
ちなみに干支はまったく関係ないです 笑

ガムはクライアントの皆さんに配る予定で、数百個作りました。
これから配る予定ですが、もしこのブログを読まれているクライアントの方で「うちには配りに来ないなあ」という方がいらしたら遠慮なくおっしゃってくださいね。
すぐに参ります 汗
ちなみにこのガム、マルカワのマーブルガムのパッケージだけをdigのオリジナルデザインに変えたものです。
味は既存のものと同じでオレンジ、グレープ、コーラの3味。
今回調べてみてわかったのですが、丸川製菓って明治創業で140年も続く老舗お菓子メーカーなのですね。
マーブルガムの製造は昭和34年から。
現在では海外へも10カ国以上輸出しているそうです。
僕はこのガム、小学生の時から大好きでした。
(特に好きなのはオレンジ)

img今年の年賀状制作ミーティングの様子です。

imgメールのデザインは上田くんの担当。

会社から毎年送っている年賀状、この制作作業も以前はほとんど僕一人でやってましたが、今年はアイデアだけ出して制作はスタッフにまかせました。
一応実案件と同じように、みんなで集まって頭をひねって考えて作ってるんですよ。
今年はクロスメディアプロジェクトですからね。笑
ガムのパッケージとメールの制作は成宮リーダーが中心となって進めてくれました。
僕が不在中に会議が行われて、みんなでまとめたアイデアの結果報告を受けるのはちょっと感無量でした。
は??ほとんどの人はその感覚、まった理解できないでしょうね。
何が感無量なの?そんなの普通だろと言うでしょう。
しかし、それがこの会社には今までありませんでした。
長い間ずっと一人でやってきましたからねえ、はじめての感覚・・・かもしれません 汗
フィニッシュだけをスタッフにまかせるのではなく、コンセプトワークからスタッフみんなが参加して作ったというのが嬉しかった。
まあ、最後に出て来たアイデアが少しでもズレてたら、まったく感無量とはならなかったでしょうけど 笑

会社も変わっていきます。
みんなの成長が会社の成長に。
会社も仕事もおもしろい方がいい。
仕事をおもしろくするのは自分次第。
皆さんの会社でもおもしろいことありますか?

img今年の年賀メールです。

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