社章

松本 知彦 for Private Time/2012.08.09/仕事仕事

以前勤務していた企業では、社章をジャケットの胸につけることが義務付けられていました。
入社と同時に保険証と一緒に配られ、退職時には返却するルールでしたが、退職の時に、もし何かしらの理由で社章をなくしていたら、罰金を取られました。
それだけ社章は会社にとって、社員にとって重要な意味があったのです。

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しかしまだ若かった自分は、裏に込められた意図など理解できず、ただただバッチをつけるという行為に抵抗感がありました。
それは高度成長期に団塊の世代の人たちが決めたルールだろ、くらいに思っていました。
事実社章をつけていたのは部長や課長など、役職のついた自分より上の人たちでした。
会社を誇りに思い、恥じない行動を取れというのが、たぶん会社の奨励事項だったのだと思います。
しかし当時の僕にとって、社章はユニフォームと同じで、形骸化した集団ルールにしか見えませんでした。

あれから月日が流れました。
世の中でワークスタイルは変化し、それに合わせて必ずしもネクタイやスーツを着て会社に行かなくてもよい企業が多くなっています。
出勤時間すら自由な企業も増えてきました。
ゆるやかにつながるオンとオフ、会社は昔よりある意味自由な集団組織になりました。

そうなると、当然会社への帰属意識は薄れます。
だから逆に組織と個人をつなぐものが重要になっているように感じます。
会社と個人をつなぐもの、それは企業のフィロソフィ、その会社固有のアイデンティティ以外にないのではないでしょうか。
顔の見えない大勢の社員全員に、同じように社章をつけることを義務付けるのではなく、顔の見える小さな会社だからこそ、アイデンティティの共有はもっと深くできるはずです。
何かを全員で作り上げるために、顔を見て常に価値観を共有する。
大企業にはできないことを、僕たちは目指さなければなりません。
そもそもここで一緒に働くことになった仲間たちは、大企業への所属願望などではなく、小さい会社の持つアイデンティティに響きあって集まったはずですから。

今、もう1度改めて社章を捉え直してみたいと思いました。
以前は何かに反抗する、何かにアンチテーゼを唱えることが自分のアイデンティティでした。
でも今は違う。
反抗する対象の社会も、システムも、大企業ですら決して盤石ではなく、そこにアンチテーゼを唱えても何の意味もありません。

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メンバーとして組織に参加している意識を持つ、組織に対して自分ができることを真剣に考える、集まったみんなが自分にとって誇れる組織にしていくことに積極的に関与する。
そんな思いを込めて社章を作りました。
これが自分たちの拠り所、アイデンティティになればと思っています。
社章を通して、共有や共通の意識を持ってつながっていたい。
こんな時代だからこそ、社章は見直されてもいいのではないのかと思います。

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