さいとうたかをさん

松本 知彦 for Private Time/2012.06.19/私の履歴書私の履歴書

さいとうたかをと言えば、ゴルゴ13で知らない人はいないでしょう。
ゴルゴ13によって、世間一般に「劇画」というジャンルを知らしめた人です。

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僕が生まれる前、僕の父とさいとうさんは同じグループに属していました。
そのグループは「劇画工房」と言って、手塚治虫をメインとするそれまでのマンガとは異なる表現、新しいマンガを目指そうとする大阪の作家8人が集まってできたグループです。
その中心であった父とさいとうさんは、大阪天王寺や東京国分寺のアパートで、一緒に住んで漫画を描いていた時期があります。
父と交流があったことから、さいとうさんは僕が生まれてからも、おみあげを持って何度かうちにきてくれたことを覚えています。

父の納骨の日が近づいてきて、先日さいとうさんの事務所へ参列のお願いに行ってきました。
さいとうプロダクションは中野にあります。
さいとうさんとお会いするのは、僕が父の本を書いた時以来、5年ぶりでした。

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img事務所には等身大のこの人。彼の身長は182センチだそうです。

私は仕事としてこの世界に入ったけれど、他のメンバーは好きなことの延長、芸術と思っていたのではないかと思う。
松本氏もそうだった。
それがグループのメンバーと自分との決定的な違いだ、と話していました。
さいとうさんは名前が少し売れてくると、大阪から実兄を呼んで社長に据え、さいとうプロダクションという会社組織を作ります。
当時、日本にはまだなかった(今なら当たり前の)プロダクションによる分業制をいち早く導入しました。
漫画家には当時、ストーリー、構成(コマ割り)、作画のすべてを一人でこなす才能が求められましたが、さいとうさんは、これを分業して業務ごとに別の人が担当して制作するスタイルを作ります。
「劇画工房」のメンバーは、組織としてまとまってやっていこうとする仲間の集まりでしたが、結局は自分の作家性というものから離れられず、また自分が求めるカタチと相反する分業制も実現できずに解散します。
作家が8人集まった組織なんてうまく行くわけがないとも思いますが、さいとうさんの「あくまで売れるためにビジネスとして、職業としてやっている、自分にはそれ以外何もない」というある意味潔い話は、知らない人にとっては意外に感じるでしょう。
漫画家をアーティストだと思っている人にとっては、非常にギャップのある話だと思います。

img「劇画工房」の8人。前列の一番左が父。真中で眼鏡をかけているのがさいとうさん。

芸術は見て気に入った人だけが購入する後払いのシステム、でも漫画は違う、先にお金を払って内容を判断されるエンターテイメント、好きなものを描いて気にいった人にだけアプローチする趣旨のものではない、という発言にも、ドライな一面を感じます。

話の中には、鋭いマーケティングの視点が随所に出てきて、なるほどなぁと感じました。
こういう人じゃないと世に名前を残すことは難しいのかもしれないとも思いましたね。
父にはまったくない部分です。
真逆と言ってもいいでしょう。
父は表現そのものに重きを置いていました。
本人も言っていたけれど、お金のために作品を描くこと、いえお金そのものにまったくと言っていいほど興味がありませんでした。
さいとうさんは、父はこの職業を選んだのが間違いだったとも言っていましたが・・・苦笑
しかし、さいとうさんの話には、作家(表現)と組織(ビジネス)という相反する要素でチームを作っていくことのむずかしさも出てきて、今の僕には共感できる部分もありました。

50年以上1000本以上の作品を描き続けることは、並大抵のことではありません。
でも、それもビジネスとしてやっているから可能なのだと思います。
かつて同じ屋根の下で一緒に描いていた友人とはいえ、父との考え方の差は歴然でした。

img左側が父、真中がさいとうさん。1958年

僕は父が亡くなった時から、さいとうさんとも父とも違う道を自分自身で探して歩いていかなければならないと感じて、今日に至っています。
自分の道、自分のやり方が見つかったかどうか、それは人生を賭けないとわからないかもしれません。
しかし人生を賭けるにふさわしいお題だとも思っています。

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