PTAの終わりに

松本 知彦 for Private Time/2013.04.02/私の履歴書私の履歴書

4月になりましたね。
今まで1年間PTA副会長を務めてきて、色々な経験をさせてもらいました。
ここでは書けませんが、本当に色々ありました。
相当なストレス、仕事よりも大きなストレスを抱えて、1年間やってこられたのは、そこに子供のためという大義名分があったからです。
それがなければとっくにやめていたでしょう。
不平不満を言う人がいました、泣いている人もいました、怒る人もいました、PTAでそんな?と思う人もいるかもしれません。
でもPTA活動はそれの連続でした。
仕事の業務上でこのようなことはあまり起きません。
もちろん楽しいこともありました。
でも正直に言うと、楽しいことより大変なことの方が印象に残っています。

img僕が1年間使ってきた学校の下駄箱。もうこれから使うことはないですね。

この小さな事務所のデスクで仕事をしていると、PTA活動のほとんどが経験できないことです。
僕がPTAの活動に参加したのは、もちろん子供のため、そして頼まれたからというのもありますが、それ以外のところで得るものもあるのではないだろうか?自分を見直すきっかけになるのではないだろうか?という視点でした。

やってみて分かったのは自分は無力だということですね。。
パワーゲームに対しては何もできない。
PTAは社会の縮図だと思ったし、自分はそれに対してコミットしていくのが本当に下手だということを痛感しました。
何かの決議に対しておかしいと感じて発言しても、それを一人の力では変えられない、いや本当におかしいと思うなら労力を使って自分一人でもパワーゲームで押し切っていかなければならない。
それが僕にはできませんでした。

思えば、中学校や高校で、僕は比較的目立つグループに属していましたが、存在自体はマイノリティでした。
そして美大に進んで、僕以外にもマイノリティな人がこんなにいるんだと思って、少し嬉しかった。
しかし、企業に就職して色々な人に揉まれていく中で、やはり僕はマイノリティだと言うことを常にどこかで感じていました。
出世のために自分を犠牲にして上司のご機嫌を取る、管理下で表層と内面を使い分ける、上からの物言いで違う意見を持つ人を黙らせる
そうしたコミュニケーションを取る人を周りにたくさん見てきて、僕にそのスキルはないと感じていました。
僕の気持ちが通じる人、それはラインから外れたマイノリティな、でも人間らしい、いい人たちだった。
でもそういう人に限って、出世コースからは遠く外れていることを目のあたりにしていました。
概ね社会や企業はパワーゲームで成り立っているということを感じていたんです。

PTAも同じ側面を持っています。
僕が社会に出て5年目くらいで感じた感覚とPTAで経験したことには共通項があります。
それを言葉で表現することはむずかしいですが、そのどちらにも共通していることは自分には足りないものがある、と認識する感覚です。
たぶん、その足りないスキルをつければ、業務上のコミュニケーションも、もっとうまくいくことでしょう。
でもそれができない自分の無力さをPTAで教えられました。
何年経っても変わっていない自分を再認識したというか。

引き受けたことに対して真面目にやり遂げようとする自分の性格も露わになりました。
適当にはできない性格が災いしたことも多かったと思います。
年間合計およそ60回、PTAの会議、イベントに出席しましたが、1年を通して6日に1回はPTAに参加したことになります。
後半になって気がつけば、スタッフからPTAに出るのは控えてくださいと言われるほどにまでなっていました。
でも自分が抱えたミッションはやり遂げなければならないという性格がなおさら僕を追い込んでいきました。
もっと気楽に、もっと自由に、空いた時間にボランティアとして行うのがPTAだったはずなのに。。

こうしたことはこの事務所のデスクで仕事をしているだけでは、わからなかったことでしょう。
それを感じさせてくれたことは、子供のサポートをするという本来の意味とまったく違ったところで、PTAをやってみてよかったことかなあと思います。
勉強になりました。

以前にも少し書きましたが、多くの人がPTAの役職がついた途端、子供のためという視点から外れて、いきなり自分の実績作りに考え方が変わってしまいます。
あの人がいたからできた、とみんなから言われたいばっかりに、今までのルールを変更したり、新しいことをやって実績を残そうとするのですが、これがそもそものパワーゲームの始まりとなっています。
自分のエゴのためにPTAの役員をやってはいけません。
それに対して周りの人も、違うことは違うと声を出して言うことが必要です。
しかしそこには「私はPTA二期目で、何でも知っているから黙ってろ」的な、情報格差によるヒエラルキーが存在するのも事実で、むずかしい。
そうした軋轢の中で、誰かが涙を流したり、怒ってしまうシーンなど、本来子供のサポートをすることで集まったボランティアだというのに、おかしいと思います。
忙しい中、引き受けてくれたお母さんたちがそんな想いまでしてPTAを続けなければいけない理由はそこにはありません。

そうは言いつつ、今期も相談役というよくわからないポジションでPTAに残ることになってしまいました。
相談されるだけなら自分から動かないのでいいか、と引き受けたのですが、もう昨年のような思いはしない・・・・・ことを望んでいる次第です。はい。

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