小さな夢の実現 ロンドンへ その1

松本 知彦 for Private Time/2014.09.17/私の履歴書私の履歴書

僕の父親は昔、漫画家でした。
世間にその名前を知られた時代もありましたが、今では本当に一部の人しか知らない漫画家です。
彼の名前が知られていたのは僕が生まれる前、大手が少年ジャンプやマガジンなどの週刊誌を出版する前の時代、1950年代に隆盛を極めた貸本というジャンルでのことでした。

imgロンドンのカートゥーンミュージアムで展覧会を開くことになりました。

今と違って、フリーのクリエーターという職業は、明らかにマイノリティだった時代。
社会的に相当なハンデがあったはずです。
300人がマンガ家になることを目指しても、なれるのは100人、そのうちきちんと収入が得られて残るのは1人くらいでしょう。
仮に売れたとしても、そのうち収入はゼロになり、廃業を余儀なくされてしまう厳しい世界。
学校の校長先生であった厳格な父(僕の祖父)に猛反対され、読んでいたマンガを目の前で破り捨てられた経験をしても、なぜ彼がマンガ家という職業を志したのか、その理由はわかりません。
しかしそこには覚悟があったと思います。
そして、その後には悔しさや諦め、後悔もあったかもしれません。
父親は覚悟を決めて飛び込んだであろう自分の職業について、晩年は卑下していたと母に聞きました。
そこには色んな思いがあったんだろうと思います。

自分の子供時代、家庭は経済的に困窮していたはずですが、それを僕に気づかせず、一家の生計をサポートしていたのは母でした。
母は僕が物心着いた頃からずっと働いていて、家にいない時も少なくありませんでした。
結婚すれば、ほぼ全員が専業主婦の時代に、他の家庭と自分の家が明らかに違うことを感じ取ってはいましたが、それについて自分から質問することはありませんでした。
そして父の仕事についてもほとんど感知することなく、いえ見て見ぬ振りをしながら僕は徐々に大人になって行きました。

その父が2005年に亡くなります。
父が病床で最後に僕に託したこと、それが70年代の作品を集めた単行本「たばこ屋の娘」の出版でした。
既に寝たきりになっていた父は、編集者とのやり取りを自分に代わって息子である僕に依頼したのでした。
「知彦、これ進めてくれるか?」
本当に短い言葉でした。
父が仕事のことを自分から僕に話したのはこれが最初で最後です。
それまで一切自分の仕事について息子に語ったことはありませんでした。
この短い言葉が特別な響きを持って、今も僕の耳にずっと残っています。
この時まで僕は父の仕事に関して何も知らなかった。
そこから父を知っている人たちに会い、父のことを調べ、父に関する活動を少しずつはじめるようになり、今に至ります。

img

img父が70年代にビックコミックに連載していた「劇画バカたち」。その原画もロンドンで展示します

いくつかわかったことがあります。
父親は、さいとう・たかをさん、辰巳ヨシヒロさんと3人で大阪、東京の同じアパートで一緒に生活しながら作品を描いていたこと。
その中で劇画という表現を生み出し、それが今のマンガの発展に大きな影響を与えていることを知ります。
そして劇画という表現を、世界で初めて作ったのは父親だったという事実も知ることになるのです。
父は劇画に先駆けること1年半、劇画のルーツである駒画という表現に到達していました。
これを知った時、父親が祖父の大反対を押し切ってでもやりたかったことは、これだったのではないかと瞬時に感じました。
劇画が生まれた背景には、新しいことを作り出そうとする父の真摯で激烈な想いを感じることができます。
この事実を知った僕は、劇画が登場した当時の息吹、想い、葛藤を1人でも多くの人に知ってもらいたい、そう思うようになりました。
父だけの作品ではなく、さいとうさんや辰巳さんの作品も含めて、劇画の革新性を世に伝える活動、劇画が今のマンガに及ぼした影響を認知してもらう展示をやりたいと、密かに思うようになりました。
しかし周りの関係者にこの話をしても、誰一人として展覧会の企画に賛同してくれる人はいませんでした。
ビジネスにならないからという理由だと思います。
でも僕はあきらめませんでした。
仕事をしている時でも、展示のことはいつも頭の片隅にありました。

劇画=さいとう・たかをさん、日本ではそう見ている人がほとんどです。
その表現がいつ、どこでどのように生まれたのか、スタート地点には何があったのか、それを知る人はいません。
興味を持つ人もいないからビジネスにはならない。
駒画についても、多くのマンガ評論家は呼び名が違うだけ、劇画vs駒画という構図でしか捉えておらず、その関係性について正確に論述されている書籍は1册もありません。(読み手側に興味がないので書く必要も無いのでしょうけれど。)
先行する駒画は革新的な表現やコンセプトだけを残し、後からやってきた劇画に飲み込まれていきますが、「駒画と劇画は同じもの」生前父はそう言っていました。

img叫ぶさいとう・たかをさん。1950年代の父自身の言葉でしょう。

父親が飛び込んだマンガの世界、そこで到達した新しい表現。
それを押し進め、既存の表現を乗り越えていった多くの作家たち。
そんな内容を紹介する展示を海外で開くことはできないものか。
長い間、胸の奥に秘めて来た想いが、とうとう今月ロンドンで実を結ぶことになりました。
構想から8年くらいが経過していますが、ようやく形になるのです。
ここまで長い道のりでした。
http://cartoonmuseum.org/exhibitions/current-exhibitions/gekiga

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