小さな夢の実現 ロンドンへ その2

松本 知彦 for Private Time/2014.11.27/私の履歴書私の履歴書

病名は胃癌でした。
少し前から父が物を飲み込む時に違和感があり、医者に行っているということは母から聞いていましたが、まさか癌だとは思いませんでした。
しかも診断の結果は、フジテレビアナウンサーの逸見さんが亡くなった病気と同じ、進行が早いスキルス性の胃癌だということ。
この時、父は68歳。銀座の画廊で個展を開催している最中でのことでした。

このままの状態で切らずに治療を行うか、胃を切除する手術を行うか、どちらかの選択を迫られました。
後者の方が治る確率は高い、しかし癌の進行はステージ1かステージ3、どちらなのかは開腹してみないとわからない、医者からはそう告げられました。
家族としては当然治って元気になる可能性がある方を選びたい、それ以外に選択肢はありませんでした。
入院して抗がん剤による科学療法が始まり、そのあとに胃を全摘出する手術を受けることに。
手術後、見える所はすべて取ったと担当医からの報告を受け、切除した部位も見せてもらいました。
それは所々が変色した小さな内蔵の一部でした。
小さいなあ、これが人の命を奪ってしまうかもしれないくらいのインパクトを持っているのか。
人の命は儚い、そんなことを感じました。
手術後、入院したまま再度抗がん剤の治療を受けて父は無事退院しました。
抗がん剤の治療は身体にもそうですが、精神面にもダメージを与える治療で、病院にいる時は精神的に心配な状況もありました。
でも退院後、自宅に帰ってきた父は元気そうに見えました。

これで取りあえずはよかった。
同じく胃の全摘手術を受けた王監督の元気な姿をTVで見て、父も同じようにこれから快方に向かっていくと家族みんなが思っていました。
しかしそんな気持ちとは裏腹に、日を追うごとに父の体調は悪化していきます。
退院後、自宅に帰ってきた頃は散歩もしていましたが、3ヶ月もすると自力で歩くことも厳しくなってしまった。
病院にも行けなくなり、あっと言う間に寝たきりの状態になってしまいました。

病気がわかって入院する前、父は自分の荷物を整理して、たくさんの物を捨てていたと母に聞きました。
大好きだった落語のカセットテープもほとんどを捨ててしまっていた。
僕は毎週実家に帰り、できるだけ父と一緒にいる時間を持つようにしました。
電動で上半身を起こせる機能がついた専用のベッドを自宅に入れる前、自分のふとんで寝ていた父の枕元には、20代の時に描いたマンガの単行本が2冊、目につかないように机の下にそっと置かれていたのを僕は見逃さなかった。
父はマンガ家として最も輝いていた頃の本を押し入れの奥からそっと持ち出して、手に取って何を感じていたのでしょうか。
父の人生の半分はマンガと共にあったのです。

img少し前に話題になったパンダラブーも最初は自費出版からでした。

父が70年代に描いたギャグマンガの単行本「パンダラブー」が、30年の時を経て2000年に再版され、マンガファンの間でちょっとしたブームになったことがありました。
それは編集者である浅川さんと、評論家であり、中野でタコシェというマンガ販売店を経営している大西さんの2人が、父の許可を得て自費出版を行い、その後正式に出版社から出版された本でした。
彼らは次に、父が70年代に週刊誌に描いていた叙情的な作品を集めて、再び自分たちで自費出版したいと父に依頼していたようですが、僕はパンダラブーが出版された経緯も、その他の70年代の作品の自費出版の依頼の話もまったく知りませんでした。
寝たきりになってしまった父は、自分ができなくなった70年代の作品集の出版の進行を僕に託します。
「知彦、これ進めてくれるか?」
とても短い言葉でした。
父に言われるまま、作品の場所を探し、お二人に会い、父から引き継いで自費出版の話を進めました。
でも残された時間は少ないことは、見るからに明らかでした。
聞きたいことは今のうちに聞いておいた方がよい、医者からそう告げられた僕は、父が1950年代に描いた作品、そして父が到達した表現、駒画について聞くことに努めました。

img葬儀の当日に完成した父の70年代の作品を集めた自費出版

本当に早かった。
手術をしてから、階段を転げ落ちるように病状は悪くなっていきました。
術後、1年もしないうちに父は逝ってしまった。
こんな結末がわかっていたのなら、あの時手術の選択をすべきではなかったのではないか、何度も何度も自問自答しました。
浅川さんと大西さんが企画してくれた70年代の作品を集めた自費出版は「たばこ屋の娘」というタイトルで、父の葬儀の当日に出来上がりました。
病状は2人に伝えていましたが、結局父はこの本の完成を待たずに逝ってしまった。
表紙の色校が上がったとき、父は看護婦さんに少しだけ自慢していたと母から聞きました。
元気な時の父は、そんなことをする人ではありませんでしたから、ちょっと微笑ましいエピソードだと思います。
出来上がったばかりの自費出版の本は、葬儀の会場で参列者の皆さんに配られました。

自分の作品集が葬儀の当日に出来上がる、、そんなことがあるのです。
僕は涙が止まりませんでした。
続く・・・

その1はこちら。
http://blog.10-1000.jp/cat36/001156.html

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