小さな夢の実現 ロンドンへ その3

松本 知彦 for Private Time/2014.12.17/私の履歴書私の履歴書

前回の続き
葬儀の当日、本人の作品集が完成する。
こんなことがあるのです。
父が70年代に発表した作品を集めた本を、自費出版で作ってくださった浅川さんと大西さんには本当に感謝しています。
父親としての父以外の姿を、はじめて僕に教えてくれたのも、このお2人でした。

img自費出版を経て、正式に出版された「松本正彦短編集 たばこ屋の娘」。

img新宿、そこには僕が生まれた街。そして家族と過ごした場所が描かれています。

僕がそれまで目にしたことも読んだこともない、70年代の作品を集めた「たばこ屋の娘」は、自費出版を経て、その後出版社から正式に出版されました。
何も起きない日常を描いた、味わい深い作品群は父親の性格を色濃く表わしています。
父親が雑誌に書いたエッセイの中に、「この世界は美しい」という言葉がありますが、そう感じていたからこそ、こんな作品が描けたのだと思います。
日常の時間を慈しみ、噛み締めて味わうような表現は、父が生み出した劇画とも異なる、父の中でのもう1つの到達点と言えるでしょう。
読後感にじんわりと押し寄せる郷愁は、父がいなくなった現実とシンクロして感慨深いものがありました。

img味わい深い情景は僕の育った街でありながら、誰もが持つ東京の懐かしい心象風景のようにも思えます。

img新宿駅の周辺は僕にとって個人的な思い出がたくさんある街。

マンガはフィクションの世界です。
でもこのマンガの中には、僕が生まれて育った新宿中落合の情景や、父親とよく行った新宿駅周辺の街並が時々登場します。
小学校の頃、毎日歩いた通りやアパート、そこに作品が描かれた70年代当時の空気を感じることができます。
生活情景とも言える描写はやたらとリアルで、個人的にはとても懐かしい。
なぜか踏切が多く出てくるのも特徴でしょう。
踏切の音や動きが、物語の中でアクセントとして描かれています。
このリアルな感じはなんでしょうね。

imgこういう踏切も今どんどん少なくなっているかもしれませんね

父が僕に出版を頼んだ短い言葉から、色々なことがはじまりまったように思います。
それまで僕は、父の仕事についてまったくと言っていいほど知らなかった。
知らないというより、知らないようにしていたと言う方が正しいでしょう。
家庭内では父の仕事はもちろん、マンガ全般がタブーでした。
父親の手前まったくマンガは読まなかったし、読むことを禁止されてもいました。
自分の父がマンガ家であるということが嫌だった。
大人になる過程で、誰にもそのことを言わないようになっていきました。

家庭での父はとても優しい人でした。
子供の頃から怒られたことなどほとんどなかった。
しかし幼い頃から働く母を見て育った僕は、父の仕事を認めるわけにはいきませんでした。
結婚すれば専業主婦が当たり前の時代、男として主として、それでいいのだろうか?という気持ちが常にありました。
決して父が怠慢なわけではないということは、大人になってから理解することができました。
しかし作家性というものがありながら、出版社からはアクションが流行ればアクションマンガを、言い換えれば常に数字だけを求められる仕事の中で、金のために自分の志を曲げてまでやりたくない、作家としての頑固な性格は、徐々に父を孤立させていったと思います。
そんな姿しか知らない僕に、作家としての父の仕事のことを最初に教えてくれたのは、先に書いた浅川さんと大西さんでした。
父の仕事が素晴らしいということ、自費出版までしてそれを世の人に伝えたいなどという、たぐい稀な人が世の中にいる、その事実に僕は本当に驚愕してしまった。
信じられませんでした。
2人から聞く父の話は、僕が知っている父ではなく、僕のまったく知らない、どこかの別の作家の話でした。

父の病気がわかってからしばらくして、僕は色々な人に会うことにしました。
それは他人から聞かされて初めて知った自分の知らない父のことをもっと知りたい、そんな気持ちに動かされたということもあるでしょう。
しかし本当は、それまで父の仕事について無関心で全く知ろうともしなかった自分、むしろその職業を憎んでさえいた今までの自分への懺悔の気持ちが含まれていたのかもしれません。
かくして父親を知る旅は、こうしてスタートしたのでした。
続く・・・

その1はこちら。
http://blog.10-1000.jp/cat36/001156.html

その2はこちら。
http://blog.10-1000.jp/cat36/001182.html

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