小さな夢の実現 ロンドンへ その4

松本 知彦 for Private Time/2015.01.27/私の履歴書私の履歴書

前回の続き

「知彦、これ進めてくれるか?」
すべてはこの言葉から始まりました。
既に寝たきりになっていた父は、単行本「たばこ屋の娘」の出版を、息子である僕に託したのでした。
しかし、僕にはこの言葉が「たばこ屋の娘」の出版だけでなく、それ以外の何かを息子に託そうとする言葉のように聞こえてならなかった。
それまで一切家族に話さなかった、触れさせなかった自分の仕事を、初めて息子に依頼した言葉だったからです。
父が仕事のことを僕に自分から話したのは、これが最初で最後でした。
とても短い言葉ですが、僕にとっては特別な響きを持った言葉のように聞こえたのです。

img「たばこ屋の娘」に収録されている「花の新宿」

img2年前に出版されたフランス語版「たばこ屋の娘」

img昨年出版された「花の新宿」の英語版

思えば僕は、家族として接する父の姿しか知りませんでした。
父の仕事について、家庭での父親として以外の彼について、まったくと言ってよいほど知らなかった。
家庭内で、マンガの本や仕事の話はタブーであり、父親は、家族を仕事から常に遠ざけようとしていたように思います。
亡くなる3ヶ月前に聞いた言葉によって、それがゆっくりと動き出した。
父のことを調べていく過程で色々なことを知り、父が残した作品をカタチにしよう、そんなことを考えるようになりました。
その想いは最終的に、小学館からの作品集の出版へと繋がっていきます。

しかし本を作りたいという気持ちがあっても、1つの大きな課題がありました。
作品を掲載して見せるだけでは、伝わらない部分があるということ。
それは作品が世に出てから、60年も経過していることに起因しています。
発表当時、いくら革新的な表現であったとしても、その後に登場した多くの作家によって模倣され、磨かれ、進化し、現代では極めて当り前の手法になってしまっているという問題です。
作品を見せただけでは、多くの人には、ただの古臭いマンガとしてしか映らない。
それは名作と言われる1950年代の古い映画を見ている感覚と同じでしょう。

作品が発表された当時のインパクトを伝えるためには、どうすればいいだろう?
そのヒントは、父の生前のインタビューの中にありました。
「作品が登場した時の斬新さは、当時リアルタイムでそれを見た人、体験した人の言葉を羅列することでしか現代の人に伝えることはできない。」
当時リアルタイムで父の作品を読んでいた人に会おう、その考えに至ったのは自然の成り行きでした。
しかし、父の仕事に対してまったく感知していなかった自分にとって、この進行は相当に大変なものとなります。
当時誰が父の作品を読んでいたのか、その中で誰に会いに行けばよいのか、彼らの名前も、住所も連絡先もわからない、それを調べる作業からやらなければなりませんでした。
まったく知らなかった父の仕事、息子が知らなかった父親の違う側面、1枚1枚ベールを剥がすような作業は、驚きと発見、そして郷愁が混じり合う不思議な体験になったのです。

すべてを手探りで進めなければならない作業は、非情に時間がかかる上に困難で、諦めようかと思ったこともありました。
そんなとき、何度も助けられた言葉があります。
この言葉があったからこそ、本を作る気持ちを持ち続けることができた。
迷ったとき、いつもこの言葉に立ち返って、自分がやっていることは間違っていない、そう確信して再び前に進もうという気持ちになれました。
常に僕を勇気付けてくれた。

img1978年に書かれた桜井さんの本。

imgその中に父を紹介している記述があります。

以下抜粋
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毎日新聞のベストセラー調査で3位に入った松本の作品は、「サボテンくん」と言った。
僕や辰巳が八興に寄稿していた作者たちの中でもっとも興味を持ち、影響を受けたのは彼の作品だった。
松本の作品は、新人作家が誰でも持っていた手塚治虫の影響からも既に脱し、独自の表現領域に足を踏み入れつつあると感じられたのである。(中略)
現在の劇画の手法は松本のマンガからはじまり、中間で多くの作者の工夫の積み重ねからなっているのである。
僕は何事も革新は出来上がった秩序の修正や手直しからは生まれず、どろどろとした異端なものの中から発芽するものだという確信を持っている。
その意味で、松本正彦は現在の劇画に至る当時のマンガの真の革新者だったと言いたいのである。
(桜井昌一「僕は劇画の仕掛人だった」 1978年 エイプリル出版)
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マンガ家であり、評論家であり、辰巳ヨシヒロさんの実兄、劇画工房のメンバーでもあった桜井昌一さんの言葉でした。
父がいなくなったあと、父親の部屋の本棚にひっそりと差し込まれていた1冊の本の中に、この言葉を見つけた時は、とっても嬉しかった。
大いに勇気付けられました。
桜井さんは既に亡くなられていましたが、住所を調べて、お宅にお邪魔させていただきました。
桜井さんの奥さんにお会いして、当時の貴重なお話を色々伺う中で、奥さんが父の母親(僕の祖母)とも交流があったことがわかって嬉しかった。
仏壇にお線香をあげながら、僕はあることを感じていました。
父が僕をここへ来させたのかもしれない、僕は父の代わりにここへ来たんだ。
仏壇の前で、ありがとうございますと桜井さんに伝えながら、きっと生前父もそう思っていたに違いない、と心の中で感じていました。
続く・・・

その1はこちらから。

その2はこちらから。

その3はこちらから。

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