PTAの活動 その締めくくりに

松本 知彦 for Private Time/2014.04.16/私の履歴書私の履歴書

リンタロが最終学年だった昨年の1年間、小学校のPTAの仕事をたくさんしました。
副会長を務めた2年前に続き、振り返ってみると、またまたたくさん働いてしまった1年でした。
やっと終わったのでちょっとレポートすることにしますね。

img2人とも自画像とのこと。男の子の方、笑っちゃいました。

前年度は85周年ということで、去年の今頃にプロジェクトはスタートしました。
鼓笛隊のユニフォームを購入するための売上目標を立て、その実現に向けてまずTシャツの販売を計画しました。
Tシャツのデザインを任されて、販売を告知するために学校の廊下に貼るポスターとチラシを制作。
そのビジュアルとして、リンタロとアンヌ隊員にそれぞれ絵を描いてもらいました。
リンタロは雑誌のレオンを、アンヌ隊員はヴォーグを見ながら描いたので、それぞれのポーズがそれっぽいのが笑えます。
販売活動の結果、在校生数を超える数が売れて、Tシャツプロジェクトは大成功に終わったのでした。
そんな活動の中で僕は副校長先生(昔で言う教頭先生)と仲良くなりました。
色々な話を聞きましたが、そこには彼の学校に関する悩み、現状学校が抱える問題、PTAとしてやってほしい事などが浮き彫りになって、僕は自分なりに考える機会を与えられたように思います。
そして自分が活動に関わっている以上、何かのカタチで役に立ちたいと感じました。
僕がPTAの活動を2年間やって一番感じたのは、この副校長先生との響き合いであり、心で感じる瞬間だったように思います。
副校長先生に会うことができたのが、自分にとって一番大きかった。
心から会えてよかったと思える存在でした。

imgいつものようにオールフリーハンドで描きました。

img水彩で着色したもの。

img冬休みと土日を使って描きましたが、結構時間がかかりました・・・

活動の締めくくりに控えていたのが、85周年を記念する周年誌の制作でした。
児童の父母からなる5人のプロジェクトチームが集まって考えたことは、ありきたりの硬い周年誌を作るのはやめようということ。
その1点で意見が一致して、制作はスタートしました。
集まった5人はその分野のスペシャリストで、この制作プロセスは楽しかったですね。
僕はアートディレクションとイラストを担当しました。
卒業式の1週間前にどうにか出来上がったけれど、お母さんの友人もいないし、学校に行く機会もないのでその評判については、今もあまり聞けていません。
みんな喜んでくれたらなあと思っています。
簡単にできました、って書いているけど、これはなかなか大変な仕事で、、、もう2度とできないでしょう。汗

img完成した周年誌です。

最後に周年誌に使用した写真を展示した展覧会をSPACE8で開きました。
とってもよい展覧会で、自分で言うのもなんですが、活動の最後を締めくくるに相応しい素晴らしい展覧会だったと思います。
いやあ、しかし繰り返しになりますが、こんなことはもうできない 笑

imgポスターももちろんボランティアで。

img子供たちの明るい生き生きとした表情をここでお見せできないのが残念です。

卒業式も無事に終わって、1週間に渡って開かれたSPACE8の写真展も終わって家に帰ったある日、1通のハガキが届いていました。
それは副校長先生からのハガキでした。
小笠原島の小学校に、今度は校長先生として赴任になったことを知らせるハガキでした。
そのハガキには、「SPACE8に行けなくて残念です。周年誌は一生自分の宝物にします。」と直筆で書かれていて、それを読んだ時、なんだか胸が熱くなってしまいました。
先生は表面的にそんな内容を書く人ではないことを、僕は十分に知っているからこそ、
もう涙が出そうでした。
もっともっと話がしたかったです。
先生は、PTAの会合に、もっと前向きに参加する必要性を感じたのは、松本さんの話がきっかけだったと言ってくれましたが、僕こそたくさんの感謝をお伝えしたかったです。
本当に今までありがとうございました。
一緒に活動したいって感じられる人に出会えることは、本当に少ないです。
そんな先生と2年間ともに活動ができて自分はうれしかったなあと、今は思い返しています。
小笠原の小学校は渋谷と全然違うでしょうね。
でも先生のような情熱あふれる校長先生が小笠原にいるなんて羨ましいです。

さようならの挨拶もしないままに、いなくなってしまった先生。
人との別れは寂しいものです。
4月はそういう季節でもありますね。

img校庭から見た校舎を描きました。

リンタロの受験

松本 知彦 for Private Time/2014.04.14/私の履歴書私の履歴書

リンタロの受験が終わりました。
子供の受験というのは家族全員を巻き込んだ一大イベントだということを思い知らされましたね。
そこには色々なドラマがありました。

img発表をWeb上で行うところと、学校へ見に行かなければいけないところがあります。

ここに何度か書いてきましたが、勉強するのが本当に苦痛で仕方なかったリンタロ。
ほとんどやる気を見せることなく、本気で勉強することなく、受験本番になってしまいました。
初日1発目の受験は一応第1希望としていた学校でしたが、早速落ちてしまい、、、、
続いて2日目に受験した学校もすべりました。
いや、勉強してないんだから落ちるの当たり前なんだけどね 笑
全然本気でやってなかったのに、家で泣いているリンタロを見て、ちょっとびっくりしました。
だったらさぁ、なんで勉強しなかったんだよと両親揃って感じた次第ですが、それよりも、、、
泣いているリンタロを見た兄弟たち全員が、可愛そうだと言って、さらに大きな声を上げて号泣してしまい、家の雰囲気は真っ暗になりました 汗

次の試験は2日後に迫っていました。
中学の受験システムは複雑です。
1つの学校で 2回の試験があって、両方受けることも可能ですが、第1志望として受ける学校の場合は1回目を、第2志望の場合は2回目を受けることが多いです。
同じ学校でも1回目の試験の方が比較的通りやすく、2回目は倍率と偏差値がグッとあがります。
どの学校の何回目の試験を受けるかというのが、戦略のカギになります。
リンタロは1回目の受験は落ちてしまったので、2回目しか残されていませんでした。
2回目の方が試験はむずかしい。。
ここからの気合いは素晴らしかった。
はじめて本気で2日間勉強してるのが伝わってきました。
落ちるというリアルな体験を経て、やっとやる気になったようでした。
結果的に、その後に受けた学校は全部受かるのですが、まあ、あれだけ勉強せずに最後の2日間で帳尻合わせるっていうのはある意味才能なのかもしれませんね。

受験する中学は奥さんとリンタロが話し合って決めていましたが、大学まで続いている学校は、受けさせない方針で、大学がくっついている学校は1つも受けませんでした。
大学までつながっていれば、必ずイージーな選択をして付属の大学に進んでしまうというのが奥さんの持論でした。
大学は自分の力で決めるべきというのは、下から進学してきた学生がたくさんいた大学に通っていた奥さんにとって、何か感じることがあったのかもしれないですね。
そうえいえば以前働いていた企業にも学閥があって、同じ大学の卒業生だけが集まる傾向にありました。
そのほとんどが慶應でしたが、まったく異なる傾向の大学に進んだ自分にとって、その光景はある意味羨ましく映ったものです。
下からエスカレーター式で大学に進み、大企業に勤めるならそれでもいいのかもしれないですね。
でも彼らには確実に選民意識のようなものがあって、それは多少気持ち悪かったですが。汗

img受かった夜、叙々苑で焼き肉を食べていたら、会話が聞こえたようでお店から粋なサプライズ

img本当に優しいアンヌ隊員。自主的に手作りの旗を作ってリンタロの帰宅を迎えていました。

リンタロが受かった中には公立の6年制の学校もあって、中学なのに倍率が10倍以上だったのですが、僕はお金も安いし、公立だから多様性があるだろうし、共学だし、それをリンタロに勧めたのですが・・・・
リンタロは私立の男子校を選びました。

img何が気持ちいいって、溜まった受験用のノートやテキストを全部捨てる時です。

僕も男子校でした。
でもねえ、中学はまだいいけど、高校が男子校というのはきついです。
いい思い出が1つもないです。
その話もしたんですけどねえ、でも彼は男子校を選びました。
18歳まではストイックな生活ですね。
まあ、それもいいか。
次の岐路は6年後。
自分の力で進路を決めて欲しい。
学ランに布製の白い肩掛け鞄というクラシックなスタイルで、もう中学に通い始めています。

リンタロの展覧会

松本 知彦 for Private Time/2014.03.20/私の履歴書私の履歴書

今年の始めに、自分が小学校から23年間、ずっと作って来た年賀状の木版画を紹介しました。
今回はそれと関連する記事です。
去年、リンタロの通う小学校の体育館で、全校生徒の図画工作と家庭科の作品を集めた展覧会が開かれました。
そこで見たもの、それが印象的だったので紹介します。

img展示は体育館で開かれました

作品には複数のカテゴリーがあって、与えられたテーマに沿って、各自が自由に制作した作品が展示されていました。
まず、図工の工作作品から。
与えられたテーマは本棚だったようです。
やっぱりリンタロ、自分の好きなものズバリの名前をつけて、作品を作ってました。
以前にも書きましたが、リンタロは伊坂幸太郎がホントに好きなのです。(最近は星新一も加わってきたようですが、、、)
伊坂幸太郎専用の本棚とは、、笑
そりゃ同級生と話が合わないわけだよ、、、と思うのですが。汗
今って昔より使う木材が薄いんですね、僕らの時はもっとゴツい木で作った気がします。

img好きなのは知ってましたけど、ここまでとはねえ。マニアです。

次に15年後の自分にメッセージを伝える、という展示がありました。
今12歳の自分が、27歳になった自分へ書いた手紙です。
そこには驚くべきことが書かれおり・・・・
デザイナーになっている????
何年か前、リンタロと将来何になりたいか?という話をしていたとき、彼からは明確な職業は出なかった。
で、「絵がいくらうまく描けるようになっても、将来何の役にも立たないでしょ?」と言われて、、、それに対して僕はすぐに明確な返答ができませんでした。
詰まってしまった。。
自分を振り返って、確かに絵だけがうまくなってそれを職業にしたとしても生活は苦しいかもしれない。
実際自分の父親がそうだったじゃないか、と。
でも美術じゃなくても何でもいいから、自分の好きなことをやって欲しい、そんな思いがありました。
その後どういう心境の変化が彼に起きたのかはわかりませんが、デザイナーになっている、と書いてある。
いえ、デザイナーになっていなくても、将来自分が満足できる仕事に就いていてくれ、と書いてある。
これは彼の願いなのだと思います。
そしてその理由について、そうすればラッシュライフが送れるから、と結んでいます。

img子供の簡単な文章に思えますが、これがなかなか深いのです。

img文章には絵もついてました。

ラッシュライフ・・・?
何だろう?
そう思ってネットで調べてみると、これも伊坂幸太郎の本でした。
伊坂幸太郎らしく、ジョン・コルトレーンの曲名を本のタイトルにしているようです。
その意味は「Lush Life/豊潤なる人生」
なるほどねえ、、、
自分が満足できる職業に就けば豊潤な人生が送れる、ってことか。。
文章に大人みたいな伏線入れるなよ 笑
でも小学生の書いた文章にしては深いなあと思いましたねぇ。

img版画の課題は写楽になぞらえた自画像です。

最後に、版画の作品がありました。
ここで驚くべきクオリティを目にするのです。笑
版画のテーマは、浮世絵de自画像というもの。
江戸の浮世絵師、写楽の版画をモチーフに、今自分が好きなことを表現するという課題だったようです。
貼られている子供たちの作品を見るなり、一発でリンタロの作品がわかりました。
クリソツなんです笑

imgたくさんの作品が展示されてましたが、リンタロのは1発でわかりました。

imgこれ版画なんですが、本人にクリソツです・・・・

本と音楽が好きなリンタロは、ここでも伊坂幸太郎の本と、誕生日に買ってあげたiPODを加えています。
本、音楽、アートという彼の好きな3つのすべてがここに凝縮されてるんですね。
これが版画っていうのが、なかなか味わい深い作品でした。
リンタロは将来どうなっていくのだろうか?

ピッコログランデは幸せなお店 

松本 知彦 for Private Time/2014.02.21/私の履歴書私の履歴書

明治通り沿いの恵比寿と広尾の間に、ピッコログランデというセレクトショップがあります。
イタリアクラシコの旬な商品を集めた、メンズとレディスの両方を取り扱うお店。
広さは小さくて10坪くらいしかないので、前を通っても見逃しちゃう人もいるでしょう。

img色を塗る前の下書きです。

僕がこのお店を初めて訪れたのは、今から13年くらい前。
なぜ、このお店に足を踏み入れたのか覚えてないですが、何度か車でお店の前を通って、なんとなく興味を持ったのがきっかけだったと思います。
お店ができてから15年ですから、僕が最初に入った時は、まだ店を始めて2、3年の時。
加藤さんという仲の良い夫婦が2人でやっています。
何度か行くうちに彼らと仲良くなり、家族でご飯を一緒に食べるようになりました。

彼らは、クラインダイサムに建ててもらった以前のオフィスの新社屋完成パーティや15周年記念パーティ、そして昨年末にあった僕の誕生日パーティにも来てくれて、ホントに嬉しい限りです。
そして僕の個展の際に、お店の絵を描いて欲しいと頼まれたのですが、渡すのがこんなに遅くなってしまいました。
スンマセン・・・・

img今回は描くのがむずかしかったですね。。。時間がかかってしまいました。

僕がこのお店を好きな理由はいくつかあります。
まず洋服屋なんですが、洋服屋ではないということ。笑
こういう小さい店は(大きな店もそうですが、小さい場合はなおさら)、オーナーの強烈な個性やカリスマ性、世界観を第1の売りにするものですが、そうした洋服屋特有のギラギラした感じというか、押しの強いファッションオタクのスノッブな部分があまり感じられません。
これがとっても良い部分で、こういう店はありそうで、あまり他にはないですね。
あと夫婦2人だけでやっているということ。
レディスは奥さん、メンズは旦那さんが担当で、僕が店を初めて訪れた時からスタッフを増やさずに、ずっと2人だけでやっています。
人間ですから相性もあるし、好き嫌いもあるでしょうけれど、いつ行っても2人が笑顔で迎えてくれて、とってもよい雰囲気なのです。
オーナー自身が仕入、販売、接客まで行っているので話が早いのもいいですね。(でも彼らが買い付けにいっている間、店は休みです・・・・)
僕が知ってる限りでは、ここは東京で一番シアワセな洋服屋だと思います。

img

img店の中の商品を描くのはなかなか時間がかかりました。

昨年お店の15周年パーティに伺いましたが、そこに来ていたお客さんもいい方たちで、オーナーの人柄で集まったというか、ホントに洋服屋じゃなくて地元のイタ飯屋?みたいな会でした。
どのパーティに行っても必ずいる、ちょっとイケスカナイ、ファッション大好き、みたいなオラオラ系の人はいないのです。

今って東京のどこのセレクトショップでも同じ商品を売ってますからね、商品ラインナップだけで差別化することはむずかしいのでしょう。
売る人が顧客へどれだけパーソナライズレコメンドできるか、要は顧客の趣味や嗜好を覚えていてどれだけそれに合致した商品を提案できるか、そこがそのお店を自分のお気に入りリストに入れるかどうかの分かれ目の気がします。
商品を買うのではなくて、話がメインで勧められて気に入ったものがあれば、ついでに買うみたいな感覚がありますからね。
個人的には人ありきのショッピングの傾向はどんどん強くなってます。

imgフレームに入れてみました。マットはファサードに合わせたピンクに。

そんなピッコログランデは最近、元巨人軍の清原選手の奥さんの御用達ショップになって、人気が急上昇しています。
清原の奥さんと一緒にトークショーにも出ちゃったりして、専属モデルのマリソルをはじめ、雑誌掲載の頻度が多くなりました。
今では有閑マダムたちが多く訪れる、イケてるセレブ向けセレクトショップになってるのです。
清原パワー、スゴイ。

今までも元プレイボーイ編集長のシマジさんなどの御用達ショップでしたが、やっぱり女性誌の力は強いですね。
でもピッコログランデは、これだけ有名になっても、やっぱり人のいい加藤夫妻の笑顔の店で、東京にあっては貴重な「洋服屋らしからぬ洋服屋」だと思います。
これからも東京で一番シアワセな洋服屋でいてもらいたいです。

僕にとって年賀状は表現活動だった その4

松本 知彦 for Private Time/2014.01.14/私の履歴書私の履歴書

前回の続き、版画テーマの最終章です。
社会人になると学生の時のように冬休みが長くないために、凝った表現は現実的にむずかくなりました。
ほとんどの企業がそうだと思いますが、だいたい正月休みは1週間だけ。
休みに入ってから元旦まで3日くらいしかないので、冬休みに入ってスタートしたんじゃ当然間に合うわけがない。
かといって、休み前に制作をスタートすることは、仕事が忙しくてとてもできない。
彫るだけで1週間以上かかる木版の製作に、冬休みの時間すべてを取られてしまっていました。
年によっては会社が始まってからも、家に帰って夜に年賀状を刷っていたり。

imgこういうポップな表現を日本の古典技法である木版でやるのはちょっとおもしろいかも。

img時間をかけずに木版のよさを引き出せないか、工夫しようとしているのを感じます。

同じ頃マッキントッシュのPCが現れ、個人でも年賀状がオリジナルでデザインできるようになりつつありました。
最初は抵抗して、オールドスクールの木版画にこだわって制作を続けようとしますが、最終的には泣く泣くPCでデザインする年賀状にシフトしていくのでした。
木版はライフワークとして続けたかったけど、制作に時間のかかる版画の技法は、企業に勤めながら行うには無理がありました。

img紙で作った切り絵をスキャンして作った年賀状です。

imgその翌年からはPCでデザインした年賀状になっています。この時30歳

版画と同じような技法で、ショートカットで簡易的に作れるものはないだろうか?
PCで作る年賀状にシフトする前に、1度だけ切り絵にチャレンジしています。
でもやっぱり印刷なので、そこに自分の求める味は出せませんでした。
PCでデザインするようになると、当然版画の持つ手作り感は失われます。
印刷ですからね。
そこに人の手で作られた温かみはありません。
切り絵を最後に、それ以後はPCでデザインする年賀状に路線を変更して、今に至っています。

そんなわけで、小学校から続いていた松本少年の版画ヒストリーはピリオドになったのです。
こうして7歳から30歳までの23年間に作った年賀状を時系列で見ていくと、もちろんその時々で自分が好きだったものや背景がわかって面白いのですが、そうした個人的なノスタルジー以外に感じることがあります。

それは表現としての版画は、小学6年、中学1年くらいが頂点だということです。
それ以降はすべて焼き直しに過ぎません。
まっすぐに自分の好きなことに向かっている姿勢が、作風から真摯に伝わってくる小学校の時の版画をピークに、あとは大人になるにつれ、情報を知り、遊びを知り、スタイルやカルチャーを知り、それに比例して時間はなくなり、表現は右肩下がりに。
これは仕方のないことだと思いますが、情報は必ずしも人に良い影響を与えるばかりとは限らないということです。

img作品は古く感じませんが、作っている時の写真は思いっきり昭和!!

img写真はこの版画の墨版を彫ってるところですね。小学校6年生の作品。

大人になってからの版画と小学校の時の版画を比べると、小学校の時の方が純粋でひたむきな情熱が伝わってくる、と感じるのは、作った本人だけではないでしょう。
人は不思議なもので、作った時の作り手の姿勢や情熱までを作品から感じるものなのです。
あの時の純粋な松本少年のように、機会があれば、また木版画をやってみたいなあと思います。

以上版画を用いた年賀状の20年を振り返った紹介でした。
今回この一連の記事をアップしたら、色々な人に驚かれて、逆に僕がびっくりしています。
小学校の年賀状を保管していることが、そんなに特別なことだとは思いませんでした。
こんなことでも、皆さん楽しんでもらえたら嬉しいです。

日々の忙しい仕事の中で、忘れていたあの時の自分の純粋な気持ちを思い出して、また仕事に戻りましょう。

僕にとって年賀状は表現活動だった その3

松本 知彦 for Private Time/2014.01.10/私の履歴書私の履歴書

前回の続きです。
大学に入学すると課題なんかそっちのけで、軽音楽部に入ってバンドに明け暮れるようになります。
それに伴って、年賀状もそれまで作っていた田舎の民家シリーズみたいな渋いテーマはどっかへ行ってしまって、突然別の表現になりました。
父の影響からも解き放たれて、ストイックだった自分にさよならって感じです。笑

80年代はニューウェイブの時代でした。
僕が大学に通っていた時は、ロンドンから最新の音楽がたくさん入ってきていて、それらにどっぷりと引き込まれていました。
もちろんアメリカのビルボードを賑わせる音楽もあったのですが、僕はどちらかといえばイギリスの音楽ばかりを聞いていましたね。

img大学1年生。う~ん、、ま、ニューウェーブってことで。。汗

imgここに掲載するのは恥ずかしい年賀状。この時は50’sのデザインが好きでした。

img大学3年生。なんとも言えない、、、、恥ずかしい感じ・・・・

大学の時の年賀状は、どこか80年代ニューウェイブっぽいです笑
蛍光色は80年代にあってはお約束の色ですね。
しかも木版はやめて、すべてプリントごっこで作ってます。
英語部分にインレタ(若い人は知らないだろうなぁ)を使ってるのが時代を感じさせますね。笑
色々やることや誘惑がたくさんあって、時間ばかりかかるオールドスクールの木版画には、この頃もう興味はなかったんでしょうね、きっと。
これらのデザインは稚拙で、今見ると恥ずかしい限りです・・・・
小学生~高校までの年賀状は、作ってる時の気持ちが伝わってきますが、大学生になったあとの年賀状からは、浮き足立ってる感じが伝わってきちゃいますね。
大学生でデビューしたのが、年賀状からも見て取れます。汗

img24歳の年賀状。一応木版ですが、もう年賀状じゃなくて普通のカードですね笑

img25歳。なぜPARISと書いてあるかなんて聞かないでください。。汗

imgペリエのボトル。なぜかゲーンズブールの曲名が書かれてます笑

そして社会人。
またなぜか木版に戻っています。
どうしたんでしょうね 笑
この頃はファッション、映画、音楽、すべてフランスに傾倒していました。
オールドイングランド、ハリス、エミスフェール、エルベシャペリエなどフランスのブランドが好きでした。
渋谷の宮益坂にあったフレンチアイビーのセレクトショップ、イエスターモローにも通っていました。
今はお店もなくなっちゃいましたけど、あの髭の店長どこへ行っちゃったかなぁ。

img現代版の「男と女」なんでしょうか。またフランス語。

ファッションだけではなくて、ゴダールの「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」、「男と女」、六本木のシネヴィヴァンで上映されていた単館系のフランス映画もたくさん見ました。
当時はレオ・カラックスの「汚れた血」や、ベアトリス・ダル主演の「ベティブルー」、アメリカからはロードムービーの流れが注目されてました。
「パリテキサス」や「ストレンジャーザンパラダイス」、「バグダッドカフェ」の頃ですね。
ゲーンズブール、ジェーン・バーキン、フランスギャル、フランソワーズ・アルディ、ミッシェル・ルグラン、フランシス・レイ、そしてネグレスヴェルトやクレスプキュールレーベルのアンテナまで、フランスの音楽も色々聞きました。
だから年賀状も、木版を使ってはいますが、そんなテイストになっています。
ここまで来ると、若干今っぽくなってきたと言うか・・・・
この時の僕は27歳。

そして次回は最終章。30歳で木版画をやめるまでです。

僕にとって年賀状は表現活動だった その2

松本 知彦 for Private Time/2014.01.09/私の履歴書私の履歴書

前回の小学生からの続きです。
中学生になってからの年賀状を見ていると、木版の表現をさらに推し進めていく過程が伝わってきます。
中学高校で、ある程度の完成度に達していますね。
小学生の時、夏休みの工作と年賀状の制作は、毎年の恒例行事になっていました。
自分にとっての表現活動といえば、子供の時から続けてきた、このお正月の年賀状が出発点になっています。
そこにはいつも父の存在がありました。

前の記事で紹介した1年生から6年生まで、その多くはお正月をモチーフにしたものです。
小学生らしくない、ある意味大人っぽいテーマが多いですが、これは少なからず父親からの影響があると思います。
父親も年賀状は、毎年自分で版画を彫って刷っていました。
それを見て、自分も自然に版画による年賀状制作を始めたということもあり、モチーフの選定も少なからず父親からの影響を受けていると思います。
でも父親の年賀状ってどんなのだったかあまり覚えてないですが・・・

img中1の年賀状。中学に入ると、いきなりクオリティが高いです。

さて中学1年生の年賀状です。
ここでは10色刷に挑戦してますね。
10色ということは、1枚のハガキを完成させるのに10回刷らないといけないという、、年賀状を100枚出すなら1000回刷るという気の遠くなるような作業をやってのけてます。
随分大人びた構図とモチーフですね。
中1の作品としては完成度がかなり高いと思います。

img中学2年生。ここからしばらく田舎の家シリーズが続きます。

中2からは田舎の民家シリーズがはじまります。
なんでこんな渋いモチーフを選んだのか覚えてないですが、前述のとおり父親から何らかの影響を受けていたと思われます。
今見ると父の切り絵の作品に、どことなく共通点を感じます。
左側の木の部分だけで色を4色使ってるのですが、刷る時のほんの少しのズレで、このように木がボテボテに太くなっちゃうんですよね。
細い木の枝でも、4色をピタリと重ね合わせて刷るのはホントに至難の業です。

img中3は高校受験のため、時間短縮を目的にプリントごっこで。

そして僕が中学3年生の時に、年賀状に革命が起きました。
プリントごっこという飛び道具が登場してきたのです。
シルクスクリーンの簡易版みたいな仕組みで、年賀状制作に特化した製品でした。当時はTVCMもやってましたね。
ある日、父親が買ってきたこの新しい商品に僕もチャレンジしています。
版を彫る必要も、バレンでこすって1枚1枚手で刷る必要もなく、大幅に制作時間が短縮できるのですが、これは受験で時間がなかったというのが最大の理由でしょう。
しかし、チョー写実なんですけど 笑

img高校1年から木版に戻ってまた田舎シリーズ再開。

img高2も続いて田舎の民家。凝ってますなあ。

高校1年になると、受験が終わって時間があったらしく(笑)再び木版画に戻っています。
やっぱり田舎の民家シリーズ。
当時はこのように、雪の部分は紙の白さをそのまま残すという表現が、本人非常に気に入ってました。
高2の年賀状も同じ表現ですね。
今までで最も多い14色刷!!
これは時間がかかってますねぇ。
いったい何百回刷ったのでしょうか・・・
高3は再び受験のため、年賀状を作っていないようです。

そして無事に現役で大学に合格し、大学生活に入ります。
大学に入ると、父親の影響から離れて、自分で好きなように年賀状を作るようになっていきます。
続きはまた次回。

僕にとって年賀状は表現活動だった その1

松本 知彦 for Private Time/2014.01.08/私の履歴書私の履歴書

皆さん、年賀状は出しましたか?
僕は社会人になってから一時期出さなくなった時もありましたが、それを除けば、ずっと出し続けて今に至っています。
年賀状はやっぱり日本独自の風習ですから、今後いくらクリスマスが盛り上がってきたとしても、クリスマスカードなんかにはせず、年賀状は出し続けたいと思っています。

僕が自分専用の年賀状を作り始めたのは、小学校に入学してから。
小学2年生からずっと版画を続けてきました。
木版画で、単色ではなく多色刷です。
一時期は12色くらい使ったこともありました。
木版というのは当たり前ですが、1色一版なので、色数の分だけ版木を彫らなくてはなりません。
彫るのも大変ですが、色数分1枚ずつ手で刷らないといけないという・・・・
年賀状を作るのにはかなり時間がかかるので、冬休みは休むどころか彫る&刷る作業に休みのほとんどの時間を使わざるを得ない状況が続いていました。
でも年賀状を版画で続ける、と自分で決めていたので、大学までずっと版画を作ってきました。
先日、片づけをしていたら今まで作った年賀状が出てきたので、ここで紹介しちゃうことにします。
年賀状の変遷がとてもおもしろいんです。
興味ないと思いますが(汗)、僕の人となりを知る上で笑って見ていただければ嬉しいです。

imgまずは小学校2年生の時の年賀状。

imgそれから1年後の小学校3年生。成長してます。

まず版画デビューした小学校2年生から。
この時は年齢的に彫刻刀を使うのが難しかったため、やり方は忘れましたが、確かフェルトで作った版画です。
モチーフはお獅子ですね。
続いて3年生もお獅子。
2年生の時の出来がよくないので、リベンジのつもりでしょうか。
こちらは彫刻刀を教えてもらったことで、ゴム版に彫って自分で刷ってます。
2色ですね。
明らかに2年生の時より、表現も技術も上達しているのがわかります。
自分で言うのもおかしいですが、7歳で斜めから見た立体表現を版画で行うというのは、同じ年くらいの子にはあまりいなかったんじゃないでしょうか。
本人が今見ても驚きです。笑

img4年生からは日本の建造物をモチーフに。

img続く5年生では5重の塔。

img同じ年に五重塔の渋いテーマに満足できずにもう1種類作ってます。

4年生はお城です。
こちらもゴム版ですね。3色刷。
色合わせは技術的に難しいので、この段階ではまだ実践されていませんが、いい意味で小学生らしい気持のよい表現です。
5年生になると、多色刷の色合わせが初めて試みられています。
3色刷ですから、3枚彫ったんでしょうね。
多色刷の難しさは、下絵の写し取り、彫るときの正確さ、それに加えて刷る際の色合わせがもっとも重要なのです。
刷る際にミスをすると色版がすべてズレて台無しになってしまうからです。
そして刷る作業は、色数が多ければ多いほど、彫る作業の何倍も時間がかかるのです。
ここから木版に突入。
この年、理由はよくわからないですが2種類の年賀状を作ってます。
その片方で、いきなり木版で7色に挑戦しています。
11歳で7版彫る&刷るのは、さぞ大変だったことでしょう。
でもモチーフは小学生っぽいですね。

img小学校最後の6年生は難しい表現に突入

6年生では、色数は6色ですが、さらにバージョンアップして難しい表現にチャレンジしています。
金色も使っていますが、この細かい色合わせはなかなかに大変だったはずです。
ここまで来ると大人の表現になっていて、小学生が作ったとはあんまり思えませんね・・・・

小学校を卒業すると、だんだん技術的に向上していくのがわかります。
中学生からは次回に続く。

びっくり誕生日パーティー

松本 知彦 for Private Time/2013.11.27/私の履歴書私の履歴書

人が幸せを感じる時って。どういう状態を指すのでしょうね。
それは人によってバラバラだと思うのですが、お金をたんまりもらった時という人もいるだろうし、欲しかった新車を手に入れた時という人もいるでしょう。
でも僕はお金やモノで幸せを感じることはほとんどないです。

img

先週の土曜は、自分が半世紀生きてきた誕生日でした。
でもその日は、SPACE8で行われていたスペイン現代美術展の最終日だったこともあり、店番のために出社して仕事をしていました。
SPACE8の営業時間は19時まで。
3週間休んでないこともあって、区切りの誕生日もまた仕事か、、、、と思っていましたが、終わったらどこかでご飯でも食べましょうと奥さんに前の日に誘われたので、そのつもりでいました。
午後にはギャラリーに母がやってきましたが、19時になる前にもう帰ろうと言い出し、最後には早くしろと怒り出したり、、、なんで?と思っていると奥さんから電話があり、代々木上原のカフェにいるから早く来てください、とのこと。
でも閉店前にお客さんが来て、終わったら片づけもあるし、なかなかそう簡単には閉められない。
早く来ないと言って怒りながら、母は先に出て行ってしまいましたが、そんなこと言われてもねえ。。

img店に入ると、なぜかそこにギターを弾いているリンタロが。。

なんだかなあ、と思いながら、指定されたお店に行くと・・・・・・
え??????????????
店に入ったら、リンタロがギターを弾いているのです。
さらにそのギターに合わせて、アンヌ隊員がハッピーバースデーの唄をマイクで歌っている。
何これ?これ何の会?、最初はよくわかりませんでした。
よくよく見てみたら(暗いのでよく見えない&店がガヤガヤ騒がしい)、たくさんの友達たちがそこにいて拍手をしているのです。
まだわかりませんでした。
なんで????????
僕に拍手をしているのだと気が付くまでに、2,3分かかりました。
いや、もっと長く感じたなあ。
最初は10人くらい集まってくれたんだと思っていたんです。
しかしよく見ると、なんとそこには50人以上の僕の友人たちが集まってくれていて、お店は貸し切りになっていたのでした。
ホントに、マジでこれには仰天してしまいました。

img貸切のお店に60人くらいの友達たちが。。。

親しい友人5,6人ならわかりますけど(というかそんなことも予想してませんでしたが)、物凄く懐かしい何十年ぶりに会う友達たちもいて、、、そんな普段会えない友人たちが50人も、、びっくりしたなあ。
20年ぶりに会う友達も、九州や名古屋、ロンドンやパリから来てくれている友達もいました。
これには本当に驚きました。
奥さんが僕に内緒で、こっそり友人たちを呼んでくれていたのです。
僕の区切りの誕生日は、大切な家族や親しい友人たちに囲まれての、本当に暖かい素晴らしい会になりました。
来てくれたみんなも、懐かしい友人に会う機会が出来た、と喜んでくれてよかった。
お母さんが早く来なさい、と僕をせかした理由は、友人たちを待たせるな、ということだったんですね。

img知り合って30年の友人たち。イギリス、フランス、イタリア、ホントにいろんなとこから来てくれてこんなに嬉しいことはありませんね。

幸せを感じる時間。
それはパーティーを開くことではなくて、家族や大切な人とのつながりを感じられることだと思います。
何気ないこと、その時間の中に幸せがあります。
それを普段忙しく生活している中では気が付かない、そのことを実感できる機会、シーンはなかなかありません。
人生で大切なこと、それはこうした人たちとの出会いに支えられて自分があることです。
僕は、普段家族と過ごしている積み重ねの生活の中に、そして友人たちと笑ったりする何気ない時間の中に幸せがあると、このパーティーを通して強く感じました。
そんなことが感じられただけでも、僕はなんだかとっても嬉しくなった。

imgもう半世紀も生きてきたなんて・・・ 人生は短いなあ。

智子さん、リンタロ、アンヌ隊員、瑠依、朔次郎、お母さん、ボシ、優太郎、フランク、クラインダイサム、ユキちゃん、ムサビの友達、前職の同僚や後輩、ピッコロ、その他来てくれたたくさんの大切な友人の皆さん、本当にありがとうございました。
このこと、僕は一生忘れません。
これからもみんなと一緒にがんばって生きていきます。
皆さんに幸あれ。

イラストのお仕事

松本 知彦 for Private Time/2013.10.17/私の履歴書私の履歴書

普段、仕事で大変にお世話になっている会社があるのですが、その会社のT社長さんから作品の制作依頼をいただきました。
テーマはご本人がよく行かれるお店?だと思います。

img

自分のブログに掲載しているイラストは数時間で描けるのですが、いざ頼まれて作品を描くとなるとそうも行かず、気合いばかりが入ってしまって・・・・
リクエストされたのはA3サイズで、普段描いているものより大きいこともあって、時間がかかってしまいました。

img下書き完成。フリーハンドなので、もちろん定規も使ってません。

でもスタイルは変えずに、相変わらずのオールフリーハンド。
写真をトレースすればもっと早く、正確に描けるのですけどねえ。
すべて見た目で描くので、カタチを取るのにもそれなりに時間を使ってしまいます。
デッサンが狂っているとしたら、それは味だと解釈してください 汗
A3って結構大きいです。

img色は水彩で着色しています。

img

img

下書きが終ったら8割で来たようなものだと思っていましたが、色を塗るのもなかなかに難易度高いです。
世界堂でマットを切ってもらって、額装して出来上がり。
店内に飾るのだとしたら、お店のインテリアに合うといいなあと思いました。
喜んでもらえるかなあ。
絵を渡すときは、自分の子供を養子に出すような気持ちです。
T社長いつもありがとうございます。
そして引き続きよろしくお願いします。

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