GW 端午の節句と誕生日

松本 知彦 for Private Time/2013.05.07/私の履歴書私の履歴書

うちはGW中に子供の誕生日があるので、家族で出かけることが多いです。
ほとんど都内ですが、今年は上野動物園に行きました。
入場無料だったこともあって、かなりの人出で、、、パンダは90分待ち、人気のホッキョクグマも相当に混んでました。
色々なところへ出かけられるので子供は楽しいと思いますが、どこへ行ってもすごい人で大人は疲れます。。

imgゴールデンウィークは混んでますよ。

さてそんな中、心に染み入ることがあったのでちょっとここに書くことにしました。
今年のリンタロの誕生日プレゼントは、ビートルズのボックスセットにしました。
受験勉強のため、ほとんど外出できないリンタロが家で楽しめるプレゼント。
自分も聞きたいからというものありますが、CDで聞くのは20年ぶり。
それまではもちろん全部アナログ盤で聞いていました。

img発表した全アルバムをデジタルリマスターして再収録しています。

僕がビートルズを初めて聴いたのは中学1年の時。
大好きになって毎日毎日何百回も聞き倒しました。
ファンクラブにも入ったし、自分がドラムをやるきっかけにもなりました。
アビーロードのリンゴのドラムソロを何度も耳でコピーしましたね。
思い返せば、ほとんどの曲の歌詞も間奏も、全部口ずさめるバンドは、ビートルズ以外にありません。
しかしデジタルリマスターのクオリティはスゴイ。
アナログ盤で聞いていた時には気が付かなった音が背景に現れてきて、新鮮な驚きがあります。
知りませんでしたが、リンタロ先生は去年雑誌Penの特集号を購入済みだったようです。

imgアビーロードのジャケットと同じ場所で撮影したご本人。

img知らない間に、欲しいと言って買ってもらっていたらしいビートルズ特集。

長女のアンヌ隊員はリンタロに誕生日カードを作っていました。
会社でスタッフの誕生日にはサンクスカードを渡すというルールがあって、僕はスタッフに渡すカードを土日に家で書いていたので、それに影響されたようです。
こんなことにも子供は影響されるんだなあと感じていました。
しかしこれが・・・・

img表紙は自分でカッターで切り抜いた英語を貼って飾っています。

imgいやあ、兄妹のいない自分にはこの文面泣けるなあ。

「こんなやさしいお兄ちゃんがいてあんぬはしあわせでした。いつもわらっているりんがあんぬは大すきです。ほんとうにありがとう。あんぬより」
いやあ、、、、涙が出そうですね・・・・
誰に教えられたわけでもなく、8歳がこんな文章を書くんですね。
単なる親バカな記事になってしまいましたが、会社でやろうと全員に伝えたサンクスカードのコンセプトを一番理解して行動に移しているのは実は子供だったのか、、、、とすら感じたり。
いやあ驚いてしまいました。

バンド始めました

松本 知彦 for Private Time/2013.04.09/私の履歴書私の履歴書

突然ですが、バンドの練習を始めました。
僕のパートはドラムです。
中学校でビートルズを聞いて、はじめてドラムセットに触れてから、高校、大学とバンドを組んできました。
特に大学でリリーフランキーと組んでいたバンドは、社会人になったあとも15年くらい続いて、そこそこ思い入れもありましたね。
リリーフランキーが描いたイラストで「おでんくん」というキャラクターがいるのですが、Eテレでやってたおでんくんのアニメ番組の主題歌は実はうちのバンドの曲なんです・・・・
バンドのメンバーにしかわからないことですが、テレビで本上まなみが歌うこの曲を聞いた時は、ホントにびっくりしました。(彼は本上まなみが大好きだったので、というオドロキも同時にありました)

img久しぶりに見るレモのロゴはちょっとカッコいい

もう最近全然ドラムを叩いていません。
最後に叩いたのは、10年近く前。
大学の友達たちと組んだキャロルのカバーバンドで、吉祥寺のライブハウスで演奏したのが最後でした。
今回かなり下手になってて、びっくりです・・・汗
ホントに下手。。(元々うまくないですけど。。。)
あと練習が終わった時の疲労感。。。汗
以前はこんなことなかったのになあ。

img20年くらい前にバンドを一緒にやってたベースの中村氏

ベースの中村氏は、僕が20歳くらいの時の友達で、今は音楽会社を経営しています。
若かりし頃は一緒にバンドをやってたんですが、そのバンドで色々なライブハウスに出たり、アナログ盤作ったりしていました。
出てたのは、主に渋谷のラママ、新宿のACB、もしくはJAM。
メンバーはNO NEW YORKを作詞した元BOWYの人がサックス(この1曲だけで毎年かなりの印税収入と聞きました)、ギターは同じ大学の後輩で、いま宮藤官九郎や阿部サダヲとバンドをやってます。
あとは彼と一緒にフィンガー5のバックバンドやったり(笑)、他のユニットもやりましたね。
他のユニットのメンバーはM-FLOのリサがボーカルでしたけど、インディーズでCDを出したあとすぐに、研音(芸能プロダクション)に入ると言って、下手で冴えないバンドに見切りをつけて、サッサと脱退していきました 笑
その後、M-FLOでブレイク。

img一番まじめにちゃんとやってくれる新家さん

ギターの人は新家さんと言って中村氏の紹介で今回初めて会いましたけど、僕と同じ大学の後輩とのこと。
大学時代はお互い知りませんでしたが、この人、、、矢沢永吉、長渕剛、ミーシャ、スガシカオ、スキマスイッチなどなど大御所ミュージシャンのジャケットデザインを数多く手掛けている著名デザイナーなのです。
すごいですね。
信藤三雄さんの事務所にいたと聞いて、なるほどねと。

img歌丸師匠に似ている夜の男、樋口タイスケ

さてキーボードは樋口タイスケと言って、今までバンドを一緒にちゃんとやったことはないのだけど、古い飲み友達です。
30歳くらいの頃は毎週末一緒に遊びに行ってました。
ヘアスタイルは当時のままです(若干後退してますが、、汗)
まあ、真面目にバンドをやるタイプではないです、この人は。
当日も遅刻してきて、演奏する曲のコピーもしてないという、、、、メンバー全員からヒンシュクを買ってました。笑
今でも継続して夜遊びしているので、夜の世界では有名な男です。
仕事は優秀なインテリアデザイナー。

imgドラムはわたくしです。革ジャン着てますが、今回やる曲はキャロルじゃないですよ。

しかし今のスタジオってすごくキレイなんですね。
僕が知っているのは、いつもタバコ臭くて汚くて、、、、
当時はバンド=喫煙、タバコ吸わなきゃバンドの練習じゃないみたいな基本がありましたからね。
そして20代の時と比べて、スタジオ料金はそんなに上がっていないというのはよいことです。

さて初回の練習を終えたばかりで気が早いですが、今後ライブもしてみたいです。
それには、これから継続的にスタジオに入って練習しないといけませんね。
特に樋口タイスケには練習してもらわないと。
皆さん、ライブをする時は是非来てくださいね。

PTAの終わりに

松本 知彦 for Private Time/2013.04.02/私の履歴書私の履歴書

4月になりましたね。
今まで1年間PTA副会長を務めてきて、色々な経験をさせてもらいました。
ここでは書けませんが、本当に色々ありました。
相当なストレス、仕事よりも大きなストレスを抱えて、1年間やってこられたのは、そこに子供のためという大義名分があったからです。
それがなければとっくにやめていたでしょう。
不平不満を言う人がいました、泣いている人もいました、怒る人もいました、PTAでそんな?と思う人もいるかもしれません。
でもPTA活動はそれの連続でした。
仕事の業務上でこのようなことはあまり起きません。
もちろん楽しいこともありました。
でも正直に言うと、楽しいことより大変なことの方が印象に残っています。

img僕が1年間使ってきた学校の下駄箱。もうこれから使うことはないですね。

この小さな事務所のデスクで仕事をしていると、PTA活動のほとんどが経験できないことです。
僕がPTAの活動に参加したのは、もちろん子供のため、そして頼まれたからというのもありますが、それ以外のところで得るものもあるのではないだろうか?自分を見直すきっかけになるのではないだろうか?という視点でした。

やってみて分かったのは自分は無力だということですね。。
パワーゲームに対しては何もできない。
PTAは社会の縮図だと思ったし、自分はそれに対してコミットしていくのが本当に下手だということを痛感しました。
何かの決議に対しておかしいと感じて発言しても、それを一人の力では変えられない、いや本当におかしいと思うなら労力を使って自分一人でもパワーゲームで押し切っていかなければならない。
それが僕にはできませんでした。

思えば、中学校や高校で、僕は比較的目立つグループに属していましたが、存在自体はマイノリティでした。
そして美大に進んで、僕以外にもマイノリティな人がこんなにいるんだと思って、少し嬉しかった。
しかし、企業に就職して色々な人に揉まれていく中で、やはり僕はマイノリティだと言うことを常にどこかで感じていました。
出世のために自分を犠牲にして上司のご機嫌を取る、管理下で表層と内面を使い分ける、上からの物言いで違う意見を持つ人を黙らせる
そうしたコミュニケーションを取る人を周りにたくさん見てきて、僕にそのスキルはないと感じていました。
僕の気持ちが通じる人、それはラインから外れたマイノリティな、でも人間らしい、いい人たちだった。
でもそういう人に限って、出世コースからは遠く外れていることを目のあたりにしていました。
概ね社会や企業はパワーゲームで成り立っているということを感じていたんです。

PTAも同じ側面を持っています。
僕が社会に出て5年目くらいで感じた感覚とPTAで経験したことには共通項があります。
それを言葉で表現することはむずかしいですが、そのどちらにも共通していることは自分には足りないものがある、と認識する感覚です。
たぶん、その足りないスキルをつければ、業務上のコミュニケーションも、もっとうまくいくことでしょう。
でもそれができない自分の無力さをPTAで教えられました。
何年経っても変わっていない自分を再認識したというか。

引き受けたことに対して真面目にやり遂げようとする自分の性格も露わになりました。
適当にはできない性格が災いしたことも多かったと思います。
年間合計およそ60回、PTAの会議、イベントに出席しましたが、1年を通して6日に1回はPTAに参加したことになります。
後半になって気がつけば、スタッフからPTAに出るのは控えてくださいと言われるほどにまでなっていました。
でも自分が抱えたミッションはやり遂げなければならないという性格がなおさら僕を追い込んでいきました。
もっと気楽に、もっと自由に、空いた時間にボランティアとして行うのがPTAだったはずなのに。。

こうしたことはこの事務所のデスクで仕事をしているだけでは、わからなかったことでしょう。
それを感じさせてくれたことは、子供のサポートをするという本来の意味とまったく違ったところで、PTAをやってみてよかったことかなあと思います。
勉強になりました。

以前にも少し書きましたが、多くの人がPTAの役職がついた途端、子供のためという視点から外れて、いきなり自分の実績作りに考え方が変わってしまいます。
あの人がいたからできた、とみんなから言われたいばっかりに、今までのルールを変更したり、新しいことをやって実績を残そうとするのですが、これがそもそものパワーゲームの始まりとなっています。
自分のエゴのためにPTAの役員をやってはいけません。
それに対して周りの人も、違うことは違うと声を出して言うことが必要です。
しかしそこには「私はPTA二期目で、何でも知っているから黙ってろ」的な、情報格差によるヒエラルキーが存在するのも事実で、むずかしい。
そうした軋轢の中で、誰かが涙を流したり、怒ってしまうシーンなど、本来子供のサポートをすることで集まったボランティアだというのに、おかしいと思います。
忙しい中、引き受けてくれたお母さんたちがそんな想いまでしてPTAを続けなければいけない理由はそこにはありません。

そうは言いつつ、今期も相談役というよくわからないポジションでPTAに残ることになってしまいました。
相談されるだけなら自分から動かないのでいいか、と引き受けたのですが、もう昨年のような思いはしない・・・・・ことを望んでいる次第です。はい。

松本正彦「花の新宿」英語版

松本 知彦 for Private Time/2012.11.05/私の履歴書私の履歴書

ある日、自宅に海外から大きな封筒が届きました。
何だろう?と思って封を開けると・・・中には大判の書籍が。
ガロの英語版でした。

img海外便で大型の書籍が届きました。

マンガマニアでない限り、今の時代にガロを知っている人は少ないでしょう。
60年代に創刊され、白土三平、つげ義春などの独立系の作家を積極的に取り上げ、その後蛭子能収をはじめとするヘタウマ系と言われる作品で、他にないサブカルチャー誌として広く知られていました。
少年ジャンプやマガジンなど大手の出版社が決して取り扱わない、あくまで作家性を重視した商業志向ではない独創的な作品のみを集めて編集することが、編集長の長井さんの方針でした。
送られてきた書籍は、このガロの精神を受け継いで、アメリカであえて日本語の同じタイトルで出版された本でした。
世界中から集められたオルタナティブ系漫画家の作品が掲載されています。
そのトリに収録されているのが・・・・
なんと父の作品でした。

img僕が父と二人でよく行った新宿のゲームセンターが描かれています。

img他の作品でも音が効果的な演出を担ってますが、アメリカ人にわかるのかなあ。

父の作品が英語版になり、日本だけでなく世界で、一人でも多くの人の目に触れる機会が増えるのは非常に嬉しいことです。
収録されているのは「花の新宿」という、1973年に発表された作品。
国内では、2010年に「たばこ屋の娘」というタイトルで、青林工芸社から再収録というカタチで出版されました。
そしてこの単行本「たばこ屋の娘」は、評論家、作家、書店員、漫画家などが、年間でベストなマンガ作品を選ぶ「この漫画を読め2010」で、なんと33位に選ばれました。
年に何百作品も出版される単行本の中から、33位に選ばれるなんて、、僕は本当にびっくりしました。

imgうちの父はオルタナティブ漫画の始祖・・・・なんですね。笑

マンガが好きな方、お時間あったら是非読んでみてください。『たばこ屋の娘―松本正彦短編集』

「花の新宿」が発表された当時、僕は10歳、父とよく新宿に映画を見に行っていた頃です。
僕が生まれて育った新宿、父にとっては身近なテーマだったのかもしれません。
今から40年前の作品ですが、そこには僕と父がよく行った場所が描かれ、その雰囲気が伝わってきて、息子としては懐かしいような何とも言えない複雑な気持ちになります。
来年、この「花の新宿」を含む、「たばこ屋の娘」の単行本の英語版がアメリカの出版社から出版される予定です。
今回「花の新宿」が収録されたのは、その単行本の出版予告でした。

img単行本「たばこ屋の娘」に収録されている「花の新宿」

imgフランス語で出版された単行本は「花の新宿」が表紙になっています。

既にフランス語版は昨年出版されましたが、英語版も出るなんて嬉しいことです。
本人が生きていたら、きっと喜んだことでしょう。
毎回、同じことを書いてしまって恐縮ですが、やはり父がいなくなった今も、こうして父の作品を出版してくださる方がいるということ、父の作品をよいと感じてくださる人がいるということに、息子としては本当に驚くばかりです。
それが日本だけでなく、フランス、アメリカまで・・・・
とっても嬉しいことなのですが、家にいた優しい父の姿だけしか知らない、作家としての父をまったく知らない僕は、ただただ驚いてしまうばかりなのです。
そして父を想う気持ち、その時間ばかりが過ぎていくのでした。

PTA副会長

松本 知彦 for Private Time/2012.10.04/私の履歴書私の履歴書

かなり個人的なことなのですが、実は今年の4月からずっと小学校のPTAの副会長を務めています。
引き受けた当初はきちんとやろうという強い心構えと責任感があって、肩に力が相当入っていました。

僕はPTAの副会長と同時に、地区委員会の担当でもあるので、今まで色々な行事に参加しています。
そこでたくさんのことを経験しました。
小学校で行われる役員会はもちろん、PTAのお母さんたちが100人くらい集まる総会、そして渋谷区の全小学校のPTA会長が集まる理事会への参加、運動会、野外活動で子供たちの引率、地域のパトロールとして夜の見回り・・・。
その間に、運動会などのイベントで着るPTAのTシャツをデザインしたり、災害時の引き渡しカード、校庭開放の届け出カード、そして地区が発行する小冊子のデザイン、開催されるイベントの模様の撮影、校庭の朝礼台に立ってマイクで挨拶まで、ホントにたくさんのことをやりましたね。
まだこれからも半年あるんですけど・・・。

img青少年対策地区委員ですからね。。。

かなり大変です。
そもそもPTAってボランティアのはずですが、とてもじゃないけど仕事をしながら片手間にできるものではないなぁと感じています。
時には仕事よりも大変で、時間だけでなく精神的なストレスが相当に高かった時期もありました。
忙しいときは毎週のようにミーティングがあるし、PTAの仕事もあるし、親睦の飲み会にも出なければいけないし、何より色々な人と円滑にコミュニケーションしていかなければならない。
やってみて感じたことがたくさんありました。
よいことは、やっぱり地域のことがわかるし、学校のことが理解できる、今まで知らなかった先生方やお母さんたちが考えていることがわかる、子供たちとの接点が増える。
よくないことは、、、う~ん、ここではあまり書けませんけど、、
PTAの役員をやるというのは、子供のことを第1に考えて、自分のできることをボランティアとして引き受けるということなんですが、実際には自分がPTAの役員を務めるからには功績を残したいという、オレ様な人が多いってことです。
今までのルールを自分が変えたとか、自分がいたから実現できたとか、PTAをやる人はそういう発想をする人が多いのです。もしかしたら環境がそうさせてしまうのかもしれませんけど。
そういう人に限って、まわりとか子供とか関係なく(最初は当然あったと思いますが、)自分視点で物事をすべて動かそうとします。
自分の実績を作りたいからです。
最初は「子供のため」からスタートすると思うのですが、いつの間にかそれを通り越して、自分のエゴ優先になり、
それが周囲とのパワーゲームに発展していきます。

imgデザインして色を決めて発注して。この単純なプロセスだけでもスムースにはいかないのです。

そして1年間だけでなく、2年以上継続して役員を引き受けている人が絶対的な権威を持つのも不思議なルールでした。
会社でも何でもないのに、情報格差によって完全なヒエラルキーが存在するんです。
これじゃ自己顕示欲の強い人か、やりたいことがある人じゃない限り、役員を引き受ける人はいないだろうなあ、というのが今の正直な感想ですね。
次の人に自分のポジションを引き継いでもらうまでには、この問題は解決しなければならないと思いました。
その人に同じ想いをさせるのは酷です。

この話を少し母親に話したら、母親も僕が小学校の時にPTAの役員をやっていたらしく、状況は似たようなものだったとのことで、これはずっと続いているものなんでしょうかねぇ。
そうだったら簡単には改善できないのかもしれないなぁ。

引き受けた当初、自分が子供や学校の役に立てるならという強い想いがありましたけど、人のパワーゲームに巻き込まれて、本来の役目は果たせていないと思います。
引き受けた当初、ちゃんとやろう意気込んでいたがゆえに、非常にがっかりしたというか、過度のストレスというか。
仕事よりもずっと大変だなと思いました。

考え方を変えれば、自分の苦手なこと、自分の足らないこと、普段感じていない自分のウィークポイントが如実に実感できるいい機会でもありました。
僕はパワーゲームや、人と人の調整のようなことが本当に苦手なのです。
でもビジネスでは必要なスキルだと思います。
特にクライアント折衝において。
そんなことも、この小さなオフィスのデスクに座っているだけでは、普段は感じられないことですから、その意味ではよかったとも思います。

いろんな人がいます。
当り前ですが、これも社会の縮図なのだと思います。
その社会で働いていかなければいけないのです。
だからこれも勉強だと思っています。 

あと半年がんばっていかなければいけません。
誰かのため、自分のためじゃなくて、子供のためにやらないとね。

夏休みの自由研究2012 その3

松本 知彦 for Private Time/2012.09.13/私の履歴書私の履歴書

そろそろ夏休みの宿題も仕上げに近づいてきました。
最後に、5ミリくらいあるブルーのアクリル板をプラスチックカッターで切って、前面に貼りつけます。
この厚いアクリル板を切る作業が、小学生にはなかなか大変でした。
切ったらサイズが違ってたり・・・・笑
アクリル板を前面に貼って、作った船を海面に置いてみると、ややや、本当に水があるみたいに見えます。

imgさてフロントのアクリル板を接着しましょう。

imgブルーのアクリル板をはめて、海面には発砲スチロールの船を浮かべます。

img一応これで完成です!しかし終了時刻は・・・・・

img昼間見るとこんな感じ。色が違いますね。海底の砂が効いてます。

img実際のシュノーケリングの様子はこんな感じでした。

完成しました。
今年は去年の教訓を生かして、1週間前に制作を開始していたので徹夜にはならない、とばかり思っていましたが・・・・
始業式の前日は朝の4時半まで作ってました・・・・
去年の5時半より1時間短縮されましたが、でも朝の4時過ぎまで起きてる小学生はやっぱり彼だけでしょう。。。
お父さんもほぼ寝ていない状態で会社に行かなければならず。。
今年の模型は、去年のバリ島の模型より見映えは地味かもしれません。
でも明らかに去年より彼は成長して、自主性が出てきました(繰り返しますが、勉強に自主性はまったくありませんけど、、 汗)
今回僕が手伝ったのは全体の15%くらいじゃないでしょうか。

去年も思いましたが、彼の夏休みの宿題を手伝っているとき、僕は必ず自分の父親のことを想います。
父親も僕に同じように教えてくれました。
彼と一緒に作った模型を学校に持って行くのがとっても楽しみで、僕の自慢でした。
リンタロもそういう思い出を持って大人になっていって欲しいなあと思います。
自分の父を想いながら、息子と2人で過ごす時間、人ってみんなこういう経験をするのでしょうか?
息子と父親を同時に想う瞬間は普段あまり多くはありません。
でもつながっている気がします。
子供に何かを教えているのに、僕自身が何かを教えられているような気がしてなりません。

最後に。
おまけで、世代を超えた父と子の夏休みの宿題の競演をお見せしましょう。
僕がリンタロと同じ小学5年生、11歳の時、父と2人で作った模型です。
この時は、田舎の農家を作りました。
どっちがよくできたかなぁ?
判断は皆さんにおまかせしますね。笑

img当時はプラモデルばかり作ってました。そう言えばランニング着た小学生、最近見ませんね。

imgプラバン(プラスチックの板)で組み立ててプラカラーで着色。屋根はホウキの毛を切って貼ったものです。

彼は来年何を作るのかなあ。
できれば、もう徹夜はなしにしていただきたいですね・・・汗

夏休みの自由研究2012 その2

松本 知彦 for Private Time/2012.09.12/私の履歴書私の履歴書

さて前回は海の土台と珊瑚まで作りました。
次は魚の制作です。

今回魚は紙粘土で作りました。
ここでロンドンチームの登場です。
模型を作っているとき、ちょうどロンドン在住のイギリス人と日本人の友人が2人でうちに泊まりに来ていました。
僕が会社へ行っている間、彼らが魚を作る作業をちょっとだけ手伝ってくれたみたいです。
後工程で背景のスチレンボードに差し込めるように、紙粘土の魚たちには透明のアクリル棒をあらかじめ差し込んでおきます。
乾いたら色塗りです。
これは水中カメラで撮影した写真を参考に、実際に沖縄で見た魚の色を塗りました。
ロンドンチームは色を塗る頃には帰ってしまいました。
リンタロは相変わらず一人で夜中まで色を塗ってましたが、なかなかよく塗れましたね。

img魚と人は、紙粘土で作ります。人に比べて魚のサイズでかっ。

img実際の写真を見ながら着色です。もう深夜になっております・・・

img魚の後ろには透明のアクリルの棒を差し込みます。

背景のスチレンボードに空けた穴に、色を塗った魚や人を差し込みます。
だんだんできてきましたね。
雰囲気も出てきました。
海面はブルーの薄いアクリル板で作ります。
海面を水平に貼る作業が結構むずかしくて、少し手伝ってあげました。

img背面のボードに穴を開けて、魚を1つ1つ差し込みます。

img海面はブルーのクリアシート。両脇のボードに入れたスリットに接着して固定します。

img泳いでいる人はなかなか良くできましたね

前面を閉じる前に、小浜島から持って帰ってきた実際の砂を海底に敷きます。
珊瑚礁が砕けてできた白い砂、それをペットボトルに入れて沖縄から持って帰ってきていました。
ワイキキビーチの模型を作った時も、砂浜には実際に持って帰ってきたハワイの砂を敷きましたが、同じやり方です。
これによって、模型にはその土地だけのリアリティが生まれます。

img沖縄から持って帰ってきた砂を海底に敷いているところです。

1週間前に始めただけあって、ここまで作業は結構スムースです。
会社から帰るとちょっとずつ前に進んでいて、トラブルもなく順調。
そろそろ完成です。

その3へ続く

夏休みの自由研究2012 その1

松本 知彦 for Private Time/2012.09.11/私の履歴書私の履歴書

とうとう今年もこの季節がやってまいりました。
夏休みの自由研究課題を学校に提出する季節です。
今まで、2年生の時のワイキキビーチに始まり、竹富島の水牛、バリのアマヌサ、と毎年模型を作ってきましたが、さて今年は何を作るのだろう?
ちなみにこれが去年作ったバリのアマヌサの模型です。

img

http://blog.10-1000.jp/cat36/000510.html
5年生のリンタロから提案があったのは、今年の夏休みに行った沖縄、小浜島のシュノーケリングの模型でした。
また難易度高い・・・・

美しかった沖縄の海の中の様子を模型にしたいとのこと。
まあ確かに、小浜島沖でのシュノーケリングはとっても美しくて、大人でも感動します。
子供にとっては本当に心に残る情景だったのでしょう。

彼に色々話を聞いていくと、やりたいことがだんだんわかってきました。
海の中の様子を真横から見た感じを表現したいようです。
珊瑚を作って、そこに彼が実際に海の中で見たファインディングニモでおなじみ、カクレクマノミを配置したいと。
彼のアイデアを聞いて、設計図と手順を書いてあげました。
今までも毎年設計図だけは書いてあげています。
作ることそのものより、綿密な計画こそが重要で、プランがきちんとしていれば半分は完成したようなものだということを彼に毎年教えているのです。
ちょっぴり仕事っぽいですが、これは人生でとっても重要なことです。

imgリンタロのノートに描いた設計図

さて沖縄から帰った翌日、早速東急ハンズへ2人で材料を買いに行って制作スタートです。
まず去年のアマンを作ったときに余ったスチレンボードで、土台を作ります。
そこにイラストレーションボードを貼って色を塗る。
あとは立方体のスチレンボードを削って珊瑚を作ります。

imgスチレンボードでまず土台を作ります。

珊瑚の土台にはスプレーで色を塗ります。
発泡スチロールも色を塗ればそれっぽい雰囲気が出ますから。
そこへスポンジを細かくちぎって接着したり、鉄道模型で利用する木のパーツを貼りつけたりして珊瑚を作りました。
なかなか珊瑚っぽくなりました。
海は本当にこれくらいの深さがあって、珊瑚もこんな感じでした。
いつもは言われてもまったく勉強しないリンタロですが、この一連の仕事は一人で夜遅くまで作ってましたね。
スチレンボードの扱いは毎年使っているので手慣れています。

img背景を塗って、スチレンボードを削って珊瑚の土台を作ります。

img珊瑚の土台にスプレーしたら、スポンジを接着して珊瑚を作ります。

今回は学校がはじまる1週間前に作業を開始しましたから、去年のように始業式の前日に親子2人揃って徹夜なんてことはないでしょう。
と、高を括っていたのですが・・・

その2に続く

松本正彦 追悼展 本日最終日

松本 知彦 for Private Time/2012.09.10/私の履歴書私の履歴書

先週末の土日は、原宿で開かれている父親のギャラリー会場にいました。
母が企画したものですが、その手伝いに少しだけ。

imgギャラリーは原宿駅を降りた目の前にあります。

積雲画廊は、原宿駅の竹下通り口を降りてすぐ目の前、とっても便利な場所にあります。
原宿の駅前なので、人通りもかなり多いのですが、雰囲気は落ちついていて、とてもよいギャラリーでした。

img

img

img展示は切り絵の原画が30点、版画が15点くらい

展示した作品は、今回ほとんどが切り絵の原画作品で、一部がシルクスクリーン。
作品は生前に売れてしまって、手元に残っているものも残り少なく、今回は版画も含めて1点ものばかりを展示します。
もう本人はいませんから、これ以上作品は作れません。
母親は自分の作品を送り出すような心境でしょう。
作品が気に入った方のところへ行くのは本望だと思います。
そのために母親はこの展覧会を企画したのですから。
それが供養になると彼女は言っていました。

img以前から作るのは父、タイトルを考えるのは母、と決まってました。

僕も久しぶりに父親の作品を見ました。
しかしこれを作るのは大変ですね・・・
当たり前ですが、切り絵というのは紙がパーツごとに切り離されていてはいけません。
黒の紙が全部つながっていることが必須条件なのです。
見る側は印象重視で、あまり切り絵の制約について意識して作品を見ませんが、このジャンルは作る過程にはかなりの計画性が必要だと思います。
仕事が細かくて、僕にはとてもできませんね。。。

父がなくなってから1年後、自費で父親の作品集を作りました。
その際に巻末の言葉を自分で書いたのですが、一部をここに引用しますね。
「遠近感を強調した動きのある構図、日常を切り取ったテーマ、ゆったりと流れる時間、決してありがちな風景画に陥らず、そこに人々の温もり、暖かな心を表現している。
漫画家として彼が考案した駒画は、コマを重ねることでそこにドラマや時間を表現しようとした。
彼の作る切り絵もまた1枚の凝った構図の中に人々の心を描くことに注力している。
それは穏やかな性格を持つ彼でなければ作れなかった世界であり、最後まで彼は駒画の作家だったと言えるだろう。」

img「バスが来た」は母親がとても気に入っている作品。切り絵なので黒い紙は全部つながっています。

懐かしい友人、お世話になった方、digを退職したスタッフ、はじめてお目にかかる方、色々な方に来ていただきました。
本当にありがとうございました。
当たり前のことですが、本人がいなくなったあとに残った作品を求める方がいるというのは、僕にとっては本当に驚きです。
自分がこの世からいなくなったあと、自分が生きた痕跡がどれだけこの世に残るだろうか?それによって人々に何かを感じてもらえることなどできるだろうか?
自分の作った作品が自分がいなくなったあとも世に残り、それを見た人が何かを感じるなんて、素晴らしいことだと改めて感じてしまうのです。
自分は何かを残せるだろうか?

展覧会は今日が最終日、5時まで開催されています。
近くに行かれる機会があって、お時間がある方は覗いてみてください。

松本正彦 追悼展

松本 知彦 for Private Time/2012.08.30/私の履歴書私の履歴書

以前、このブログでも書いたことがありますが、僕の父親は作家でした。
当り前のことですが、彼は少なからず、自分のアイデンティティ形成に影響を与えています。
1人っ子の自分にとって、彼はよき指導者であり、人生の先輩でした。
彼から一番影響を受けたもの、それはやっぱり芸術でしょう。
僕は今までそんな彼をどこかで否定し、反面教師のように感じて育ちました。
芸術で人を幸せにはできない、父を見て育った僕はそんな葛藤を長い間抱えていました。
彼が僕に教えてくれたことは、代替えの効かない素晴らしいもの、そして純粋に一つのことをやり遂げる難しさでした。
今では大切なことを教えてくれた父親を尊敬しています。
当前ですが、彼がいなければ今の僕もない。
二律相反こそが真実のように感じながら、日々僕は働いています。

img

img一雨来そうという作品。作品はすべて切り絵です

さて、そんな父の個展が、9月から原宿で開催されます。
企画はすべて母によるものです。

話は飛びますが、先日僕が19歳の時に付き合っていた彼女と久しぶりに会って話す機会がありました。
当時彼女はよくうちに遊びに来て、うちの家族と一緒にご飯を食べていました。
だから僕の両親のこともよく知っている。
20年ぶりに、今は自分と同じ年くらいの子供がいる彼女と会って、不思議と時間の経過を感じることなく、色々なことについて自然に会話できました。
その時、彼女の口から出た言葉で非常に印象的だったものがあります。
「あの時は言わなかったけど、松本家のお母さんはいつ会ってもニコニコ笑っていて、自分にとって理想の夫婦だった。いつも笑っていられるってことは素晴らしい。自分も松本家のような家庭を持ちたいと思っていた」。
えー?20年以上経ってそんなことを言われるなんて。
彼女の父親は仕事で家にいる時間は短く、仲が悪かったわけではないけれど、母と父があんなに長い時間一緒にいながら、穏やかに笑っていられる家庭ではなかった、と言っていました。
息子として、そんなことを言われると決してそんなことはないと言いたくなりますが・・・・
他の家庭は知らないけど、他人から見たらそう感じたのかなあ。

そんな意外なことを言われて、この展覧会を企画した母を想いながら、改めて父の作品を見てみると、穏やかな彼の性格がにじみ出ているような気がします。
彼の人となりでしょう。

皆さんも近くに行かれる機会があって、時間の余裕があれば是非足を運んでみてください。

img場所はJR原宿駅の目の前です。

profile

recent entry

category

archive

saru

ページトップ
表示切替:モバイル版パソコン版