お墓のデザイン2

松本 知彦 for Private Time/2012.07.10/私の履歴書私の履歴書

さて前回の記事の続きです。
父親のお墓を東京に作ると決めて6年。
お寺が決まったので、次はお墓のデザインですが、これって誰もが経験する機会があるわけではないと思います。
お墓の購入について、ご存知ない人のために少し説明すると、
成約後、土地のお金はお寺に、お墓のお金はお寺と契約している石材業者に支払います。
お寺と石材業者はほぼ1対1で契約しているので、お寺が決まれば石材業者は自動的に決まってしまうんですね。
なんだか結婚式場みたいなシステムです。
だから通常、お墓の営業はお寺ではなく、石材業者がしています。
皆さんも新聞などの折込チラシで見たことがあるでしょう。

話が逸れましたがお墓のデザインです。
真言宗高野山東京別院に出入りしている石材業者から提案のあったお墓のタイプは3種類。
どれもどこかで見たことがある形状で、、、、お寺の敷地内にあるお墓もみんなほぼ同じカタチをしています。
石もほとんどがグレー。
奇をてらったものを作る必要はありませんが、ずっと作家であった父らしいお墓を作りたいと思いました。

img敷地内にあるお墓。

img最初に提案のあった3つのお墓のデザインです

img2回目の提案と石のプラン。まだまだダメです

お墓の施工料金は、石の色と材質によって決まります。
黒がいいと思ったんですが、黒はインドかスエーデンしかなく、最高級のスエーデンの石で作ると1000万。。。
地震のあとで、国内生産の黒い石は手に入らなくなっていました。
う~ん・・・・お墓も家のようです。
最終的には、黒いインドの石を選びました。
形状は新規で図面を起こしてもらって、3、4回の修正のやり取りを経て、オリジナルのカタチに決めました。
今はお墓のデザインもCADで行うんですね。
デザインのディテールは、曲線や余計な飾りは一切やめて、すべて直線にしました。
3段で階段状に、上へ(天へ)登っていくような構成にしています。
そこに父の切り絵を彫り込むデザインに。
何の絵を入れるのかも悩みましたが、候補を決めて子供たちに選んでもらいました。
花菖蒲です。
江戸時代からハナショウブ園として、公園や憩いの場に多く利用されるこの花は、みんなの癒しの花です。

imgゼロから起こしてもらったプランの図面。

img出来上がったばかりのお墓。側面には自分の名前が彫られています

形が決まるとあとは石に彫り込む書体です。
これも3書体くらいから選びます。
お墓を独自のカタチにしたので「松本家」の3文字は入らなくなってしまって、「松本」の2文字だけになりました 笑

こんな経験は最初で最後でしょう。
お墓の石に父の作品を彫り込む、これで父も喜んでくれるといいなあと思っています。
そして彫り込んだ絵を見る度に、いつも静かで優しかった父を思い、父が教えてくれた素晴らしい芸術のこと、そして自分が今後やっていくべきことを考え、前を見てまた新たな気持ちになることを考えました。
父のお墓ですが、僕にとっては自分を鼓舞する忘れないためのモニュメントでもあるのです。

納骨式には父の再評価のきっかけを作ってくれた編集者の浅川さんや、父の盟友さいとうたかをさんも来てくれました。
さいとうさん「たまには遊びに来てちょうだい」なんて、泣かせるとこ言ってくれました。
本当に皆さんありがとうございます。
これで母もきっと肩の荷が降りたことでしょう。

息子は、、、、これからもがんばります。

img灰色の中で1つだけ黒い松本家のお墓。

imgさいとうたかをさんと僕

お墓のデザイン1

松本 知彦 for Private Time/2012.07.09/私の履歴書私の履歴書

ちょっと変な話で恐縮ですが、お墓を作りました。
2005年に亡くなった父のお墓です。

父は大阪生まれで、松本家のお墓は大阪にあります。
祖父や祖母も同じ大阪ですが、毎回、大阪に行くのが大変なので、東京生まれの僕の代から、都内にお墓を作ろうと決めて、探し始めたものの、これがなかなか見つからず・・・

松本家の宗派は真言宗ですが、空海(弘法大師)によって平安時代に開かれたこの宗派、今では18の派に分かれています。
その中でも、奈良の長谷寺を総本山とする真言宗豊山派、東京の護国寺を総本山とする真言宗智山派などは有名です。
しかし松本家の宗派は、空海が高野山ではじめた最初の宗派、高野山真言宗で、この宗派のお寺が東京にはあまりないのです。
豊山派、智山派のお寺は東京にもたくさんあるのですが、真言宗高野山はお寺があってもお墓がなかったり。

今まで青山墓地の抽選に毎年応募してきました。
青山墓地は東京都が運営する霊園で毎年1回、宗派を問わず誰でも応募することができます。
お寺というのは檀家になると、寄付を求められたり、色々とお寺の行事にも参加しなければなりません。
しかし都が運営する霊園なら、寄付もなく、楽というとよくない表現ですが、そうした役回りは免除されます。
霊園というと、多摩霊園など多くは東京の西にありますが、都心から遠い多摩地区は避けたい、、と考えると23区内には青山墓地と谷中墓地くらいしかないんですね。
青山墓地なら家からも近いので、その抽選に応募していたのですが、都営住宅と同じで毎年倍率が高く、なかなか当たりません。
結局5回すべて抽選にはずれて・・・・もうこれ以上は待てないので、チャレンジ6年目にして他を選択することにしました。

img高輪にある真言宗高野山東京別院の外観です。

最終的には、真言宗高野山東京別院という高野山にある総本山金剛峯寺直系のお寺にお願いすることにしました。
場所は高輪です。
このお寺は名前の通り高野山総本山の別院で、運営自体も総本山が行っているので、寄付や行事への参加など特にルールはありません。参加自由ということです。
お寺の本堂の地下深くに東京電力の変電所があるという、ちょっと変わったお寺でもあります。

さてやっとお寺が決まったので、いよいよお墓を作ることになるのですが、ここからもかなり大変で・・・
次回に続く

さいとうたかをさん

松本 知彦 for Private Time/2012.06.19/私の履歴書私の履歴書

さいとうたかをと言えば、ゴルゴ13で知らない人はいないでしょう。
ゴルゴ13によって、世間一般に「劇画」というジャンルを知らしめた人です。

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僕が生まれる前、僕の父とさいとうさんは同じグループに属していました。
そのグループは「劇画工房」と言って、手塚治虫をメインとするそれまでのマンガとは異なる表現、新しいマンガを目指そうとする大阪の作家8人が集まってできたグループです。
その中心であった父とさいとうさんは、大阪天王寺や東京国分寺のアパートで、一緒に住んで漫画を描いていた時期があります。
父と交流があったことから、さいとうさんは僕が生まれてからも、おみあげを持って何度かうちにきてくれたことを覚えています。

父の納骨の日が近づいてきて、先日さいとうさんの事務所へ参列のお願いに行ってきました。
さいとうプロダクションは中野にあります。
さいとうさんとお会いするのは、僕が父の本を書いた時以来、5年ぶりでした。

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img事務所には等身大のこの人。彼の身長は182センチだそうです。

私は仕事としてこの世界に入ったけれど、他のメンバーは好きなことの延長、芸術と思っていたのではないかと思う。
松本氏もそうだった。
それがグループのメンバーと自分との決定的な違いだ、と話していました。
さいとうさんは名前が少し売れてくると、大阪から実兄を呼んで社長に据え、さいとうプロダクションという会社組織を作ります。
当時、日本にはまだなかった(今なら当たり前の)プロダクションによる分業制をいち早く導入しました。
漫画家には当時、ストーリー、構成(コマ割り)、作画のすべてを一人でこなす才能が求められましたが、さいとうさんは、これを分業して業務ごとに別の人が担当して制作するスタイルを作ります。
「劇画工房」のメンバーは、組織としてまとまってやっていこうとする仲間の集まりでしたが、結局は自分の作家性というものから離れられず、また自分が求めるカタチと相反する分業制も実現できずに解散します。
作家が8人集まった組織なんてうまく行くわけがないとも思いますが、さいとうさんの「あくまで売れるためにビジネスとして、職業としてやっている、自分にはそれ以外何もない」というある意味潔い話は、知らない人にとっては意外に感じるでしょう。
漫画家をアーティストだと思っている人にとっては、非常にギャップのある話だと思います。

img「劇画工房」の8人。前列の一番左が父。真中で眼鏡をかけているのがさいとうさん。

芸術は見て気に入った人だけが購入する後払いのシステム、でも漫画は違う、先にお金を払って内容を判断されるエンターテイメント、好きなものを描いて気にいった人にだけアプローチする趣旨のものではない、という発言にも、ドライな一面を感じます。

話の中には、鋭いマーケティングの視点が随所に出てきて、なるほどなぁと感じました。
こういう人じゃないと世に名前を残すことは難しいのかもしれないとも思いましたね。
父にはまったくない部分です。
真逆と言ってもいいでしょう。
父は表現そのものに重きを置いていました。
本人も言っていたけれど、お金のために作品を描くこと、いえお金そのものにまったくと言っていいほど興味がありませんでした。
さいとうさんは、父はこの職業を選んだのが間違いだったとも言っていましたが・・・苦笑
しかし、さいとうさんの話には、作家(表現)と組織(ビジネス)という相反する要素でチームを作っていくことのむずかしさも出てきて、今の僕には共感できる部分もありました。

50年以上1000本以上の作品を描き続けることは、並大抵のことではありません。
でも、それもビジネスとしてやっているから可能なのだと思います。
かつて同じ屋根の下で一緒に描いていた友人とはいえ、父との考え方の差は歴然でした。

img左側が父、真中がさいとうさん。1958年

僕は父が亡くなった時から、さいとうさんとも父とも違う道を自分自身で探して歩いていかなければならないと感じて、今日に至っています。
自分の道、自分のやり方が見つかったかどうか、それは人生を賭けないとわからないかもしれません。
しかし人生を賭けるにふさわしいお題だとも思っています。

ひな祭り

松本 知彦 for Private Time/2012.03.05/私の履歴書私の履歴書

先日の土曜はひな祭りでしたね。
松本家でもお雛さまを飾りました。

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img個人のfacebookでアップしたので、既に知っている人もいると思います。後ろの切り絵は父の作品。

ひな祭りと言えば、やっぱりお雛様。
赤いひな壇の一番上に、御内裏様とお雛様、その下に右大臣、左大臣、そして五人囃子、総勢15名が飾られる7段飾り。
女の子の子供がいて、これを全部揃える家って今どのくらいあるのでしょうか?
調べたわけではないですが、昔より減ってるんじゃないですかねえ。
女の兄弟がいない僕は、小さい頃これがうらやましくて仕方ありませんでした。
同級生の女の子の家に遊びに行ったとき、雛壇があると欲しくてねえ。
人形が欲しいというより、実物をそのまま小さくしたミニチュアの造形がジオラマみたいで、男心をくすぐられたのでした。
当時はいっつもプラモデルを作っていて、模型が大好きでしたから。

それ以外に、吊るし雛というものがあることを最近になって知りました。
これは布で作られていて、高いところから吊るすタイプ。
こんなのあるんですねえ。
子供の頃、雛祭りの時に見たのがこれだったら、欲しがらなかったと思いますけど。笑

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雛祭りには、ちらし寿司を食べる習慣があるというのも、大人になってから知りました。
うちでも、近所にある「すし勘別館」というお寿司屋さんでお寿司を注文します。
このすし勘、にビル・ゲイツが来日のたび食べにくるという、知る人ぞ知るお寿司屋さんです。
とてもおいしいのです。

こうした日本古来の行事・文化は、ずっと続いて欲しいものですね。

武蔵野美術大学校友会インタビュー

松本 知彦 for Private Time/2012.01.11/私の履歴書私の履歴書

もう昨年のことになりますが、自分の卒業した大学が発行する小冊子の取材を受けました。
卒業生&在校生6万人に配られる冊子です。

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インタビューの内容は、クリエーターとして大事にしていること、普段仕事で感じていること、そしてもちろん自分が卒業した大学のこと。
シリーズで今までYMOの高橋幸宏、アートディレクターの森本千恵、建築家の鄭秀和などなど、第1線で活躍する有名な卒業生がたくさん出てるんですが、そんな中に混じって、自分なんかでよいのだろうか?と思うのですが・・・・
取材の意図はたぶん若い卒業生&今の大学生に、先輩から教えられること、アドバイスできることを語ってください的なことだと思うんですが、自分はそんな年齢になったのかと感じたり、事務所のスタッフならともかく、知らない多くの人たちに偉そうに教えられることは何もないなぁとも思ったり。
教えるというより、普段自分が感じていることをしゃべって、それが少しでも誰かの気づきになればいいかなあと思いながら、取材では脈略なく語った感じです。
プライベートなことしかしゃべってない印象ですが、サイトにも掲載しましたので、時間のある時に読んでみてください。
↓以下から読めます
http://www.dig.co.jp/corporate/image/img_pub_musabi.pdf

しかし、A4の表紙全面笑顔なんですけど・・すごいインパクトです。汗
編集部の人に松本さんは笑顔がよいですから、と言われても、こんだけ大きく扱われるとちょっと恥ずかしく・・・。
しかも改めてビジュアルにするとサンオツだしねえ。。。

僕はこのブログをプライベートとしてではなく、仕事としてやっていますが、最初書くことがないので私の履歴書というカテゴリーを作って、そこに生まれてから現在までの自分のプロフィールを書こうと思っていました。
日経新聞朝刊のパクリなんですが。(これが毎回おもしろい)
そんな内容がこの大学のインタビューで、少し先に出た感じですね。
ダイジェストですけど。

しかし、誰も読まないのじゃないかなぁとも感じたり。
もし読まれた方がいたら感想教えてくださいね。

七五三

松本 知彦 for Private Time/2011.11.14/私の履歴書私の履歴書

昨日は長女と次女のダブル七五三でした。
午後、みんなで代々木八幡神社へ。

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img姉妹です。

午前中はかなり混雑したようですが、午後は七五三で訪れる人もまばらで静かな神社。
明治神宮だとこうはいかないでしょう。
境内では、水の張られていないプールの写真で知られる知り合いのカメラマン平野太呂氏に偶然会ったんで、会ったついでに家族の写真を撮ってもらいました。笑
厄払いをはじめ、いつもたくさんお世話になっている代々木八幡神社、最近はパワースポットとしても有名です。
お祭りの時はあんなに賑わっていたのがウソのよう。
静かに静まり返って、マイナスイオンあふれる特別な場所のように感じます。

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代々木八幡神社のあとは、パークハイアットの40階にある梢へ移動。
パークハイアットの現在の総支配人は、たまたま知り合いなので、あらかじめ連絡しておいたのですが、子供のメニューなど、通常では行わないサービスまで色々準備してくれて。
ありがとうございました。
しかし梢はおいしいですね。
こういうところには時々来ないといけないです。
久々においしい和食をいただきました。
器も美しい。

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朝から晩まで家族イベントで丸一日使いましたが、旅行などと違って、主役は100%子供です。
彼らのために、あらかじめ予約の段取りをして(僕はあんまりしてないですが 汗)、当日彼らのためにフルに1日使うという、こういうのってなんだか不思議な感覚ですね。
両親は僕をこうして育ててくれたのかもしれません。
彼らが大人になった時、覚えていてくれたらうれしいなぁ。

夏休みの宿題

松本 知彦 for Private Time/2011.09.01/私の履歴書私の履歴書

徹夜です・・・
まさか子供の夏休みの自由研究で徹夜をするとは思いませんでした。
今年の夏休みはバリ島へ旅行に行ったのですが、そこで泊まったホテル、アマヌサの模型を作ると彼が言い出した時、それは大変だからやめた方がいいよ~、絵にしたら?と提案したのですが、彼は聞き入れず。
夏休みの残りの日数を計算しても残された時間は少なく、一人では到底作れないだろうと思っていましたが、やっぱり・・・・。

img完成した模型です。

img屋根を取り外して、部屋の中が覗けるようになっています。

しかし彼はがんばりましたね。
次の日学校なのに、朝の4時半まで、、、(小学4年生です 笑)
模型の大まかな作り方を決めて、東急ハンズで材料の発泡スチロールを買ってスタートです。
細かいパーツは作ってあげましたが、パーツの70%は彼が作りました。
バリ島でホテルの模型を作ると既に心に決めていた彼は、日本に帰ったあと、模型がスムースに作れるよう部屋の配置についてメモを取っていました。
帰国後、現地で取ったメモと撮影した写真を参考に、模型の図面を描きましたが、これが細かい。。
性格でしょうね。
そして完成するまでやるんだ、と言って聞かない、これも性格でしょう。
小学生に徹夜がよくないのは重々承知していますが、こういうことに対して自分は怒れません。。
自分と同じ遺伝子を感じてしまうのでした。

実物の写真と見比べてみましょう。

imgベッドです。レースは布がなくて作れませんでした。

img洗面部分を逆から見たところです。鏡は銀紙、壁にバスローブもかかってます。

img中庭からの外観。プールの中には階段もあります。

僕も小学生の時、父親から同じことを教えてもらいました。
自分が小学4年生の夏休みに作ったのは、田舎の農家の模型でした。
当時はスチレンボードなんて便利なものはありませんでしたから、全部紙で作りましたね。
徹夜して作ったかどうかまで覚えていませんが、父親に教えてもらいながら2人で一緒に作ったことを鮮明に覚えています。
遠い過去ですが、はっきりと記憶に刻まれているこの経験、こうしたことが少なからず今の自分の性格形成に影響を与えていると確信的に思います。
自分がしてもらった同じことを息子にしてあげているとき、自分の子供のことを考えつつ、同時に自分の父親のことを想い、自分の父親、自分、自分の子供が自分の中で1つに交じり合い、つながる瞬間があります。
これは実に不思議な時間です。

しかし、朝の5時まで子供の宿題を作ると言うのはどうなんでしょうねえ 笑
来年はもっと計画的にやって欲しいものです。

img

父親の展覧会の会場で感じたこと

松本 知彦 for Private Time/2011.07.11/私の履歴書私の履歴書

今、恵比寿で開かれている父親の作品展に行ってきました。
とても小さなギャラリーですが、普段並べて見ることができない父親のたくさんの作品が飾られ、ゆっくりとした時間が流れていました。
http://galeriecaprice.blog72.fc2.com/blog-entry-100.html

img

初日と2日目で10枚以上の作品が売れていました。
驚きです。
亡くなってから6年、今も父親の作品を求めてくださる人がいるというのは素晴らしいことです。
本当にありがとうございます。
時間を超えて人の気持ちに訴えるものがある、創作とは本来そういうものですが、この当たり前の事実に当たり前でなく、僕はただただ驚いてしまうのでした。
それが知っている作家ではなく、自分の父親だという事実に驚いてしまうのでした。

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img

今回、作品の額装、梱包、発送、展示まで、一人で行った母親。
会場で彼女は生き生きとした表情を浮かべていました。
父親の作品を多くの人に見てもらえることは何よりですが、それよりも母親が嬉しそうにしている姿を見ることができて、それだけでも僕はよかったなあと感じています。
作品にまつわるいろんな思い出を思い出して、少し寂しいのかもしれません、1つ1つ作品を倉庫から出して整理する際にも何かを感じたことでしょう。
でも作品展を開催してよかったと母親の顔を見て感じました。
父親の作品を前にして、普段は目に見えない家族の繋がりを少しだけ目に見える形で感じたように思います。

ギャラリーに滞在した時間は長くはありませんでしたが、
それは僕にとって普段決して感じることのない大切な時間でした。

img2008年に出版された松本正彦 切り絵作品集

http://www.dig.co.jp/corporate/book/pub_pubdig.html

父親の展覧会が開かれます

松本 知彦 for Private Time/2011.07.08/私の履歴書私の履歴書

父親が亡くなってから6年になります。
僕にとっては彼は、父親であると同時に、美術の師であり、
人生を教えてくれた大事な先輩でした。

img

そんな父親の展覧会が今回、恵比寿の小さなギャラリーで開催されます。
7月5日の読売新聞にそのお知らせが掲載されていました。
松本正彦は大阪から上京して
さいとうたかをなどと一緒に初期の劇画を作り上げ、
その後は切り絵作家として活動しました。

僕の知っている彼は常に父親であって、
家庭の外で社会とどのような関わりを持ってきたのか、あまり知りません。
誰もが感じることだと思いますが、息子ってそんなものです。

亡くなったあと、父親の知人、友人から
自分の知らない家庭以外の父親の話を聞くと
少しうれしく、また驚きがあるのでした。

今はもう存在しない父親の展覧会、
父親としてではない松本正彦の一面を
また新たに発見したいと思います。

皆さん、もし恵比寿に行く機会があったら覗いてみてください。

img

松本正彦 きりえ作品展
2011年7月9日(土)~17日(日)
10:30~19:00 日曜は17時まで 月曜定休日

ギャルリ カプリス
恵比寿駅西口下車 徒歩3分
渋谷区恵比寿西2-2-5 GOビル2F
03-5458-2725

最初の仕事

松本 知彦 for Private Time/2011.05.31/私の履歴書私の履歴書

1997年に11年勤めた企業を退職した。
辞めてからしばらく一人でやっていこうと思っていたが、具体的な仕事もなく、この先やることも決まっていなかった。
大学時代のバンド仲間で、当時同じタイミングで会社をやめたインテリアデザイナーの越智と2人で事務所をシェアして、さてこれから何をしようか?と毎日暇な日々を送っていた。

そんな時、大学の後輩から電話があった。
後輩はフジテレビの美術部に勤めており、電話の内容は人気番組「スマップ×スマップ」の1コーナー「ビストロスマップ」のセットで使用するイラストを描いて欲しいという依頼だった。
断る理由もないのでこれを引き受け、さっそく制作に入ることにした。
依頼されたのは5人のメンバーが1枚に描かれた120号のキャンパス、メンバーそれぞれの肖像画5枚、計6点だった。

当時まだ都営新宿線の曙橋にあったフジテレビ本社で打ち合わせがあり、その際に何枚か写真を渡された。
タレント本人たちには当然会う機会はなかった。
与えられた制作期間は3ヵ月。
事務所で僕が絵を描いている最中、越智は後ろでずっと図面を引いていた。
傍から見たら、なんだかおかしな事務所風景だったことだろう。

img

作品が完成した時、フジテレビは丹下健三が設計したお台場の新しい自社ビルに引っ越していて、免許のない僕はそこまで電車で作品を運んだ。
帰りは身軽になるだろうから片道のみがんばればと思ったのだが、美術部の部長から背景の描き直しを依頼され、再び作品を持って帰らなければならなくなった。
帰る頃は、帰宅ラッシュの時間帯になっていた。
120号のキャンバスは、1辺が2メートルある大型の木枠で重量があり、これを満員電車で運ぶのは非常に大変だった。
周りから相当なヒンシュクを買ったし、お台場では風が強く、キャンバスもろとも飛ばされそうになった。

背景を描き直したあと再度フジテレビに作品を、今度は帰りが遅くならないように朝に持っていくと、OKが出て無事納品となった。
納品した作品は番組のタイトルバックにも使われ、テレビを通して毎週自分の絵を見るのは、なんだか不思議な感じだった。
これがdigという会社で最初の仕事になった。

何事もスタートする時に必要なのは決断と勇気であって、労力はさほどかからない。
継続しようと思った瞬間に、その何百倍もの労力を要する。
何も考えないままに会社として無事スタートを切ったかのように見えたが、その後待ち受けている幾多の試練についてまったく知る由もなかった。

img自分でデザインした会社設立を知らせるハガキ

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