代々木上原 篠原一男の住宅

松本 知彦 for Private Time/2014.04.23/東京東京

代々木上原エリアの建築ラッシュの話は前回書きましたが、今大規模マンションの建築現場は少なくとも2つ以上は確認できます。
これらはどれも大手不動産による開発ですが、元は公官庁や上場企業の寮でした。
リーマンショックを機会に手放したんでしょうね、きっと。
しかし敷地がでかい。

img富山県庁の宿舎と近隣の住宅を壊して、大規模マンションを建築中

代々木上原のエリアは商業地域が少なく、ほとんどが第1種低層住宅地域にあたります。
ですからマンションを建てる場合でも法律上3階までの低層しか建てられないのですが、それでもビジネスとして十分に成立し得るのは、便利なロケーションと周りの住環境が理由だと思います。
郊外ではなく、渋谷真ん中のこんなでかい敷地にマンションを建てるというのは、経済状況が変化しなければ、なかなか実現しなかったことなのでは。
いったい一戸あたりいくらで販売するのでしょうね。

同じ町内にはTVアナウンサーの住む豪マン(豪華マンション)や、イタリアの高価なインポート家具で知られる社長宅、球団も持つIT系企業の社長宅、ラグジュアリーリゾートで知られるホテルの社長宅、百貨店のオーナー宅、観光ビジネス会長の豪邸、そして少し離れたところには世界進出を加速させるアパレル企業の社長宅(桁違いの大きさ)などが点在しています。
そして芸能人・・・・

img小住宅ながら建築史に残る名建築。

さてそんな住宅とは対照的に、同じエリアにひっそりと佇む名作建築を今回は紹介します。
篠原一男先生設計の「上原通りの住宅」です。
1976年の建築ですから、40年前の住宅ですね。
大規模マンションの建築現場のすぐ近くにあります。

知らない人には全然わからないと思うのですが、この篠原一男という人、建築学科の学生なら誰でも知っている、住宅設計では偉大な人なのです。
40年前に建てられたこの住宅も当時は画期的でした。
40年前と言えば、ほとんどが日本的な意匠を持つ木造住宅の時代。
その時代にコンクリート打ちっ放しで、こんな抽象的な空間を作り出す建築家はいなかったのです。
カメラマンの自宅兼スタジオとして建てられたもので、1階はアトリエ、2階以上が居住空間になっています。
構造は2階部分がキャンティレバー(片側だけが固定されている持ち出し構造)で、木のような形をした2本のコンクリートの柱がそれを支えています。
室内にも巨大な日本のコンクリートの柱がむき出しになっている・・・
これは生活するうえで邪魔なのはないかと思いますが・・・
しかし、篠原一男が作り出す抽象的な空間や建築思想は、その後に続く伊東豊雄や安藤忠雄にも多大な影響を与えました。
建築に精神性とか身体性とかを求めるのは古いかもしれませんが、そういう時代だったのです。
同じく篠原一男先生による名作住宅「上原曲がり道の住宅」も代々木上原にあるはずなのですが、こちらはどこにあるかわかりません。

img

imgキャンティレバー部分が若干下がってきたと思われます。

同じエリアには、アトリエ系建築家が手掛けたユニークな住宅が他にも点在しています。
以前のブログでも紹介しましたが、千葉学の打ちっ放しのボックス住宅、ADHのカッコいい個人宅、高松伸の地上ゼロ階、地下3階のバブル建物、他にも長谷川逸子や北山恒のいたworkshopのオフィスビル、納谷兄弟の集合住宅、照井信三が手掛けたアパレル会社社長宅、ソニーコンピュータエンタテイメントのビルを手掛けたアーキテクトファイブによる集合住宅、内海智行が設計したグエナエル・ニコラ邸、狭小地に建つみかん組の住宅などなど。
アトリエ系建築家による、こんなにたくさんの建築が見られるのは、代々木上原ならでは。
それらを散歩しながら眺めるのも楽しいものです。

imgみかん組の住宅、みかん組も最近は聞かなくなりましたね。

img80年代に建てられた長谷川逸子先生の古着屋の本社ビル

img顔見知りの山嵜さんが建てたas know asの本社ビル

imgあんまり好きじゃない、アーキテクトファイブの手掛けた集合住宅

profile

recent entry

category

archive

saru

ページトップ
表示切替:モバイル版パソコン版