赤い鳥/翼をください

松本 知彦 for Private Time/2015.02.23/音楽音楽

この曲、今の音楽の教科書に出ているかどうかまでは知らないですが、メロディ聞いたらみ~んな知ってると思います。
1970年発表の「翼をください」。
ジャパニーズソフトロックの金字塔というか、、美しいコーラスとロック的アプローチの融合というか、、すごいいい曲ですよね。
その中でもこのアレンジ最高じゃないでしょうか?
ドラムは、、なんと村上ポンタ秀一ですよ!

img

赤い鳥は1969年に結成された5人組。
兵庫県の尼崎で結成というのが違和感ありますが笑 当時世の中は関西フォークが全盛の時代ですから、その中にあってこうした別の音楽性を志向したグループがいたというのは、関西フォークの中で異彩を放ってたでしょうね。
73年に結成されたシュガーベイブと共通点があるようにも。
グループには女子が2人在籍していましたが、グループ内でメンバー同士が結婚、1974年には2組の夫婦を中心とした3つのグループに分裂します。
まあね、グループ内で結婚とかあるとね、そうなっちゃいますよね。
夫婦でフォークを追求する紙ふうせん、ジャズやポップスを主体とした3人組みのハイファイセット、赤い鳥を継承したハミングバード、グループは解散して3つに分かれます。

この「翼をください」を歌っているのは、その後ハイファイセットに参加する山本潤子さん。
声がいいです。
この頃の山本さん、若いし、歌がスゲーうまいっていうのもびっくりですが、インテリな感じでとっても可愛い。
今、こういうバンドあったら是非見に行きたいなあ。



3つに分かれたグループのうち、僕がもっとも聞いたのはハイファイセットでした。(ユニット名の名付け親は細野さん)
ユーミンの曲をたくさんカバーしていた。
このブログでも以前紹介しましたが、「土曜の夜は羽田に来るの」とか詩も含めて(作詞は荒井由美)、サイコーです。

現代美術のサウンドの夕べ

松本 知彦 for Private Time/2015.02.19/クリエータークリエーター

何が縁で仲良くなったか忘れてしまいましたが、宇治野宗輝という現代美術をやっている20年来の友人がいます。
彼とは昔、一緒にバンドをやったり、クラブに人を集めてアートと音楽のイベントを開いたり、たくさんの楽しいことをやりました。
麻布から芸大という異色の経歴を持つ彼は、クレバーで話がとても面白い。
いまは現代美術家として世界を舞台に活躍しています。
そんな彼の個展をSPACE8で開くことができました。

img今回展示しているサウンドスカルプチャーのセット。

出会った頃の彼は、まだアーティストとして本格的に活動する前で、当時博報堂に勤めていた友人の佐藤可士和に頼まれて、森高千里のCMのタイポグラフィを作ったりしてました。
その後現代美術のアーティスト1本に。
今では森美術館や彫刻の森美術館、ヨーロッパなど世界各地で展示を行っています。
その主題はポップ。
1950年代にイギリスで生まれたポップアートはアメリカへ渡り、やがて世界へ広がって新しいアートの波として認知されます。
それは主に大量生産、大量消費をテーマにした表現。
ポップアートは日本にも上陸しますが、結局のところ日本でポップアートは生まれませんでした。
ポップアートは戦勝国だけのカルチャー・・・
それを確認する行為として、いまポップを再構成し、日本という地から発信しようとするのが宇治野宗輝の作品です。

img多くのドローイングの展示は今回が初。

imgユニークなドローイングは販売もしています。

そんな美術史概論的な話は抜きにしても、彼の展示はただ見るだけでもカッコいい。
コカコーラのペットボトル、ジュースミキサー、ベースギター、ラジカセ、車のワイパー、自転車の車輪、20世紀の大量生産の中で生まれた日用品、どこの国にもある製品を組み合わせて、即興演奏を行います。
そこにはユーモアもあるし、カッコよさもあるし、カルチャーもある。
去年の年末に浅草のアサヒビール本社で行われた彼のライブパフォーマンスを見に行きましたが、展示プランとして描かれた彼のスケッチが好きで、今回はそのドローイングの展示をメインにお願いしました。
行った先の国で、現地にある日用品を使って作品を作る彼は、言葉の通じない現地スタッフたちに、作品の組み立て方の指示を出さなければならない。
サウンドスカルプチャーと呼ばれる音の出る作品は、配線だったり、電源だったり、技術的な仕掛けが必要なのです。
それを説明する際に手っ取り早いのが言葉ではなく、絵による説明書でした。
ドローイングと言ってますが、それは本来展示する作品ではなく、スタッフへの組み立て用の指示書なのです。
でもこれがとても魅力的で、今回壁3面を使って展示してもらってます。

img伊東さんとの音と光の競演。面白かった。

彼は現在、元ピチカートファイブのボーカル、野宮真貴とバンドを組んでいますが、今週の土曜日にはそのバンドのギタリスト、ブラボー小松さんとのライブセッションをSPACE8にて行います。
ブラボー小松といえば、高木完と一緒に東京ブラボーというバンドをやってた人ですよ。
高木完といえば、藤原ひろしとタイニーパンクスというユニットを組んでいた人で、、、ってもう古い話なので若い人たちは知らないかもですね。汗
ま武道館にも紅白歌合戦にも出た、とにかくその筋では有名なミュージシャンなのです。
ライブは超楽しみ。
先週の金曜に行われた美術家/OPTRONプレーヤーの伊東さんとのライブもおもしろかった。
蛍光灯が楽器になるなんて知りませんでした。

img作品について語る宇治野氏ご本人。

最終日は21日。
ブラボー小松さんとのライブは16時半からですからね。
皆さん是非見に来てください!

代々木上原がまた熱い

松本 知彦 for Private Time/2015.02.16/食べる食べる

最近、代々木上原でまた新しい動きが。
つーか、毎月新しい動きがあるのが、ここ3年くらいの代々木上原なのですが。
もはや8年くらい前の中目黒のように、今東京でもっとも熱い街になりつつあるのではないかと・・・
毎月毎月新しい店がどんどんできています。

img手描きのタイトル

まずは、代々木公園寄りに今年新しくオープンしたレストラン、セララバアド。
このレストラン、ストーリーがタダモノじゃないです。
まあ、話題の店というのはストーリーが重要ですからね。
この店のストーリーは、世界一と言うキーワード。
店を説明するためには、2つのレストランのから話さないといけません。

img知ってる人は知っている新しいレストラン、セララバアド

数年前に話題になったスペインのエルブリというレストラン、皆さんもきっと知ってると思います。
1年のうち半年しか店を開けず、残りの半年はメニューの開発に費やすという、なんとも贅沢というか殿様営業な店?顧客優先主義の店?
そんな営業方針も話題でしたが、それよりエルブリを一躍有名にしたのは味。
ワールドベストレストラン50のランキングで、4年連続世界一位を獲得したことです。
この店の料理を食べたい人たちが、世界中から集まりましたが、半年しか営業しないので、まったく予約が取れない笑
45席しかないシートに年間200万人もの予約希望者がウェイティングという、味も、予約ができないことでも、色々な面で世界一という店でした。
そんなエルブリも4年前に閉店。

もう1つはコペンハーゲンのNOMAというレストラン。
今月14日まで日本橋のマンダリンオリエンタルホテルに期間限定で出店して話題になっていましたね。
こちらもエルブリと同じく、ワールドベストレストランの1位を4度獲得。
直近の2014年ランキングでも1位を取った、エルブリなき今、もっとも話題の店です。
エルブリとNOMAの共通点は、どちらも分子料理というスタイル。
分子料理についてあんまり知らないのですが、理科の実験みたいな最新科学を用いた調理法で提供するメニュー?笑 
僕はそのくらいの認識しか持ってないですが、とにかく今までにない調理法で客を驚かすサプライズ料理というイメージがあります。

その2店舗で修業した日本人が帰国して開いた店がセララバアドなのです。
そのプロフィールを聞いただけでも、メディアは大好物なはず。
まだオープンして間もないですが、これから予約殺到は間違いないでしょう。
場所は以前digの事務所があった跡地にオープンしています。
クラインダイサムに建ててもらったdigビルの後に、世界一の店で学んだオーナーがレストランをオープンさせるというのは個人的には感慨深いです。

img友人のクラインダイサムに建ててもらった以前のdigのオフィス。

もう1つ、こちらも代々木上原というより代々木公園寄りにできたミニマルというチョコレート専門店。
以前美容院があった場所に、去年の12月にオープンしました。
このチョコレート屋にもストーリーがあります。
ブルーボトルコーヒーと同じように、店内のバックヤードでチョコを作っているということ。
そして最大のウリは、カカオと砂糖しか使わずにチョコを製造しているという点でしょう。
バターやミルクは一切使っていない。
なので口に入れるとジャリジャリしているというか、カカオの粒を味わう体験ができます。
だいたいチョコレートというと、フレンチなパティシエ的アプローチが多いですが、そうするとどうしても女子向けのフェミニンなデザインになりがちです。
この店のデザインは、最近巷に一気に増えたコーヒー専門店のようなアプローチで、内装もパッケージも少し男性的。
今流行りのブルックリンの要素を取り入れてるのでしょうか。
6割が男性客と聞きましたが、男子がチョコを買いにわざわざ店に来るというのも個人的にはちょっとオドロキです。
ウィスキーやバーボンを傾けながらつまむ、ドライフルーツのような感覚のチョコレートです。

img男子御用達のチョコレート屋がここMinimal

imgチョコのカタチがタブレットみたいでユニーク。

代々木上原にはエッジの効いた高感度な店が多いです。
そこにあるのはストーリー戦略ですね。
逆に言うと、普通の店がない 笑
そんな店を紹介しつつ、コラムを入れたりしながら、会社で代々木上原マップを作ろうというプロジェクトが最近立ち上がっています。
僕もそれに向けて、イラストをがんばって書きました。

img代々木上原は、坂と小道で形成された街です。

imgそこにスポットが色々と点在。

ホントは最近ではなくて去年の9月に完成予定だったのですけど、延び延びになっており・・・汗
その間に店もどんどん変わっちゃっていますが(トレンドだったグラノーラの店がなくなったり、、、ホントに動きが早い)駅前には今年の夏にオープンする商業施設のビルも着々と建築中です。
今年こそ、皆さんにこのマップができたというニュースをお届けできたらよいと思ってます。
その際には、またこのブログでお伝えしますね。

なぜ女子は自分用にチョコを買うのか?

松本 知彦 for Private Time/2015.02.12/食べる食べる

もうすぐバレンタインですが、女子の皆さんチョコはもう買われましたか?
昨日もFBに書きましたが、この時期、デパ地下はエライことになっています。
調査データを見ると、草食を超えて、今や絶食とまで言われている男子が年々どんどん増え続けているというのに、こんなにも男子にチョコをあげる女子がいるのかと驚愕していたのですが、、どうやらそんなことはないみたいですね。

imgバウムクーヘンに王冠という、さすがな老舗デザインです。

この時期だけ特別なパッケージでチョコを販売したり、限定商品が出たり、各社が消費をあおる戦略を投入した結果、自分向けにチョコを買う女子が増えているとのこと。
それがチョコを買う女子の半分を占めているというのですから、あ~た、バレンタインは男子への愛の告白っつーのは、もう遠い昭和の話なのですよ・・・
しかしねえ、こんな混む時期にわざわざ自分用にチョコを買う必要などまったくないと思っちゃうのですけどねえ。
社会人の作法として、会社で上司には必ずあげなきゃいけないとか、義理チョコのシキタリもいかがなものかと思っていたんですが、義理も、友チョコも超えて、今や自分用に買うっていう、、、、なんだかな。(我(ワレ)チョコ?←松本命名)
今となっては義理でも何でもイイから、異性にあげた方がまだいいんじゃねーの?って感じるのは自分だけでしょうか?
まあ絶食男子にいくら高価なチョコを、何十個あげても響かないし、喜ばれることもないでしょうから、そしたら自分用に買う行動に推移していくっていうのは容易に想像はできますけど。
近年女子会とやらが増えて、ファッションでも、レストランでも、何でも、異性を意識した消費行動がどんどん減って行くのを見ていると、これでいいのかぁ?あんまり健康的とは言えね~なぁ、とオジ様は日本の少子化や消費の低迷を心配しちゃうのですけど。
嘘でもいいから、カタチだけでもいいから、男女の役割分担が明確になるような機会が増えたらいいのになあと思います。
(役割分担とか書くと男尊女卑の古い思想だとか言って女子に怒られそう・・・)
バレンタインもその1つだと思うのですが。
形式だけでもいいから男子にあげて欲しいですねえ。

img箱の側面には女の子のイラスト。船はアフリカからカカオを運ぶから?

さて前置きが長くなりましたが、今日は関連してチョコの紹介をしますね。
ホレンディッシェ・カカオシュトゥーベのバウムクーヘンです。(何度聞いても名前が覚えられない・・・汗)
ホレンディッシェ・カカオシュトゥーベは、ドイツ・ニーダーザクセン州の州都ハノーファーからやってきた100年の歴史が持つケーキ屋さん。
このバウムクーヘンは、国立ドイツ菓子協会の定める厳格なレシピの定義に沿って作られています。
その定義とは、
「バター以外の油脂は使用しないこと」
「ベーキングパウダー(膨張剤)は使用しないこと」
「乳化剤、保存料を使用しないこと」
などなど、厳しい基準に沿って無添加で焼き上げられたものです。

img箱から出すとこんな感じ。

img5段重ねのバウムクーヘンにチョコレートコーティング

これがですねえ、最高においしいのです。
大好きですね。
All Aboutのバウムクーヘンランキング(笑)でも1位でした。
プレーンもいいですが、個人的に買うならやっぱりチョコでコーティングされたものをオススメしたいです。
コーティングされたチョコはほろ苦く、結構厚みがあってカチカチに硬いのですが、中のバウムクーヘンが柔らかく、しっとりしていて、その組み合わせがとてもよろしい。
そして味は甘すぎず、まさしく大人の味です。
箱から取り出して、コーティングされた堅いチョコにナイフを入れる瞬間から、おいしさが始まる商品です。

imgあーおいしい。大人の味、たまりません。

女の子が描かれた包装紙や箱は、材質は違うらしいけど、本店と同じデザインだそうです。
これもドイツっぽいですね。
陶器の絵柄みたい。
自家用はもちろん、どなたかのお宅に訪問する際のて手みあげにも喜ばれると思います。
そしてちょいフォーマルですが、大人のバレンタインにもいいんじゃないでしょうか、、、汗

西荻窪 西荻紙店

松本 知彦 for Private Time/2015.02.06/文房具文房具

本日、清澄白河にカリフォルニアからやってきた話題のコーヒーショップ、ブルーボトルコーヒーがオープンですね。
パンケーキのBILLSと同様のものを感じますが、あと数ヶ月はものスゴク混むでしょうね・・・・
ブルーボトルコーヒーの社長もリサーチして、この場所を選んだと語ってましたが、東京の東地区はこれからどんどん面白くなりそうです。
いま蔵前はブルックリンか!って感じですから。笑

さて東地区に注目が集まる中、西地区を代表するのが西荻窪です。
3年前くらいがもっとも熱かったですが、今も変わらず、注目のお店が点在しています。
東地区はマーケティング調査を元に大手が資本を投下しているのに対して、西地区はあくまでインディーズ。
まったく種類は違いますが、東京の文化の発信は東VS西という様相になってきました 笑
以前西荻窪にありながら、全国的にその分野を制覇した(笑)ノンブルを紹介しましたが、続いて西荻窪の小さな隠れたお店です。
ノンブルの記事はこちら

西荻紙店です。
ここも非常にわかりにくい店で、普通に街を歩いてたら絶対に見つからないでしょう。
60年代に建てられたと思われる、ふる~いマンションの2階にショップがあります。

imgこの小さな看板が目印。わかんないよー

imgそして暗~い階段を2階へ・・・・だいじょぶなのか?

マンションの入口に、木で作られた小さいサインが置かれているのですが、気が付かない。
そしてマンションが古すぎて、中に入るのを躊躇する。
ここに本当に店があるのか、最初はかなり不安に襲われます。
その体験含めて、中央線・西荻って感じです笑

店内はシンプルなインテリアで、床はリノベーションされてモルタルになってます。
マンションの床がモルタルというのはなかなかないので(工事が大変なので)、お店の人に聞いてみたら、ここへ入る前からそうだったとのことでした。

img建物に反比例してショップは明るく現代的。

imgここでもついついいろんなものを買ってしまいました。

imgただのシンプルな袋もデザインが美しい

北参道にあるパピエラボと同じように、デザイン制作の機能もあって、ショップの奥が事務所になっています。
デザイン事務所として借りる時に、広すぎるのでショップを併設することにしたとのことでした。
国立にあるつくし文具の商品が多く置いてありますが、つくし文具と共同経営しているとのこと。
つくし文具の萩原さん、卒業した大学も、そのあと就職した企業も同じなんですよね。
今まで2回くらいしか会ったことないですが。

西荻紙店、紙店というくらいだから竹尾みたいに紙のお店を想像しがちですが、そうではなく、紙を利用したクラフトワークのショップです。
色々な紙で作られたおもしろい商品が見つけられます。
以前紹介した同じく西荻にある文房具のお店、水縞が手掛けるノンブルと違って、こっちは少し男っぽい店です。
雑貨じゃなく、素材そのものを生かしてデザインを追求した商品が多いですね。
デザイン事務所がやってるだけあって、プロのクリエイター寄り。
紙も一部取り扱っています。

img紙の壷。紙ならではの美しい造形。

img中にはペットボトルが美しい花瓶になるというクラフト商品。

インテリア含めて紙のギャラリーみたいな感じです。
もし近くにあったら毎日行きたくなるようなお店ですね。

なんと30数年ぶりに小学校の同窓会

松本 知彦 for Private Time/2015.02.03/私の履歴書私の履歴書

SNSが広く普及したことで、卒業した学校の同級生や古い友人に会う機会は確実に増えたのではないでしょうか。
これはいいことだと思います。
SNSがなかったら、懐かしい友人にも一生会えなかったかもしれないし、あまり仲良くなかった人に会ったとしても当時は知らなかった違う一面が見れたり。
僕の周りでもここ3年くらい、古い友人たちが集まる機会が急増しました。
しかし、それはだいたい中学校以降に出会った人たちの話(主に大学)。
小学校まで遡ると、SNSが広まったとはいえ、なかなか会う機会はないですよね。
そもそも小学校の友人とSNSでつながってないし・・・
今回はつい最近あった僕の経験をお話します。

img小学校の校庭を歩く30数年前の僕ですよ(真ん中)

img緑が増えただけで、昔とほとんど変わっていない小学校。

気が付けば、小学校を卒業してから40年近くが経ちます 汗
引越しで違う中学へ進学したので、小学校の同級生には、卒業以来一度も会わずに、現在に至っていました。
そんなある日、聞き覚えのある名前がface bookのメッセージ欄に。
それは小学校6年生の時、同じクラスだった友人からのメッセージでした。
びっくりしました。
めっちゃ懐かしかったと同時に、嬉しかったですねえ。
よく僕を見つけてくれました。
去年の秋、彼と新宿で40年ぶりに会ったのですが(彼はイケメンになっていてびっくりしました。。。)、色々な話をしていたら、他のクラスメイトにも会いたくなってきてしまい、、、。
大部分が地元の中学に進み、何らかのカタチで同じ小学校の卒業生たちとも会っていた彼らと違って、卒業後一度も会ってないというのも、僕がみんなに会いたくなった一因かもしれないです。

img30数年前にもらった小箱。手紙も入ってましたが、ここでは出せません 汗

卒業時のクラスメイトだけを集めて会おうと思いました。
小学校の時のクラスメイトを思い出そうとすると、最初に思い浮かぶのは僕の12歳の誕生日にプレゼントの小箱をくれた女の子でした。
これを書くとみんなびっくりすると思うのですが、その時にもらったプレゼントを今も保管して持っています 笑
大事に大事に保管していた、というわけでもないですが(だったら怖い・・・)
でも僕にとっては、甘酸っぱい特別な想い出です。
彼女は今頃どうしているのかなあ。
そんなこともふと頭をよぎりました。

さて40年前のクラスメイトたちにどうやって呼びかければいいのだろう?
中学校の同窓会の名簿を借りることができたので、一部の人の連絡先はそのリストでわかりました。
でも他の中学へ進んだ人はリストにないし、連絡先がわかる人は少ない。
中学校の名簿にもない人を呼ぶにはどうすればいいのだろう?
言い出したのは僕なので、連絡は僕が行う必要があり、、、汗
小学校の時の名簿を引っ張り出して、上から順番に電話をかけていきました。
しかし40年前の名簿ですからね・・・既に引越している人もたくさんいます。
でも一部の人はご両親(主にお母さん)が電話に出られた。
そこから今回の趣旨を話して、子供へ連絡していただいて、、という流れになりました。
今のご時世、振り込め詐欺もいますからね、「私は小学校の6年4組のクラスメイトで、、、」という冒頭に話す自己紹介のくだりは明らかに怪しい・・・笑
でもこれで5人くらいのクラスメイトの連絡先がわかりました。
大変だったなあ

imgクラスの名簿が掲載されていた卒業文集もちゃんと保管してありました。

imgクラスメイトたちに書いてもらったサイン帳。最終ページには担任の先生からメッセージ。

36人のうち20人近くの連絡先がわかって、1月末に卒業した小学校の近くのお店で同窓会を開く運びとなりました。
40年ぶりに再会する奇跡のような会でした。
あんまり変わってない奴はわかりましたが、会っても名前を言ってくれないと、誰だか全然わからない人も 笑
楽しい時間でした。

小学生の時、誕生日にプレゼントをもらった前述の女の子(現在は違いますけど 笑)、、、とっても元気でした。
同窓会の前、30数年前の誕生日にもらった箱の話、甘酸っぱい自分の思い出(笑)を彼女に少しだけ伝えたんですが、同窓会で会った時になんと新しい小箱をもらいました。
小学生の小箱は、可愛いサンリオグッズと手縫いのミッフィでしたが、大人の小箱はチョコレートでした 笑
彼女曰く、40年ぶりの小箱だそうです。
サプライズで洒落が利いてますね。
小学校の時の甘酸っぱい思い出は40年の時を越えて、こんな形で追体験に。
嬉しかったです。

img松本家は何でも保管してある 笑。これは遠足の写真。注文する袋が懐かしい。

こんな経験、みんながみんな、できるものではないと思います。
小箱のエピソードはともかく、仮に5年後にクラス会を開こうと思ったとしても、集まれるのは今回の半分くらいの数に減ってしまうかもしれません。
思い立った時に行動すべきです。
僕にとっての宝物のような大切な思い出、
集まる前に、みんなと連絡を取って話をした中で感じたのは、みんなも僕と同じように、小学校で過ごした時間は大切な宝物だと感じているということでした。
30数年の時を超えて、それを再びみんなと共有できた時間は素晴らしいものでした。

キリンジ/エイリアンズ

松本 知彦 for Private Time/2015.01.29/音楽音楽

独立して間もない頃、コンペで勝ち抜いてHMV JAPANの仕事をさせてもらう機会がありました。
CDを売るECサイトを作る、というプロジェクトでしたが、当時まだamazonが日本に上陸する前で、iTunesもなかったし、音楽がパッケージメディアとして最後の輝きを放っていたギリギリの時でした。

img去年は毎日のように聞いてました。

DAVIDという日本語がまったく話せないイギリス人の取締役と主に仕事をさせてもらいましたが、本当に勉強になったし、楽しい仕事だった。
渋谷のセンター街に建てられたでっかい新しいビル内に6フロアを持つ巨大なHMV渋谷店を立ち上げるプロジェクトにも参加して(今はもうなくなっちゃいましたけど、、、)、店内の全フロアをCGで作ったり、2階で行われるインストアイベントのライブにカメラを入れて色々取材させてもらったのが懐かしいです。
レニークラヴィッツやアンダーワールドにも直接インタビューさせてもらった。
いい経験でした。

そのプロジェクトの1つに、新譜で発売されるCDのレビューを書いて、サイト上で紹介するという業務がありました。
音楽専門ライターの人たちに頼んでいましたが、毎週出るCDは何十枚もあって、時にはとても回せない量の時も。。。
でもタダで毎週新譜が聞けるという、趣味を兼ねたような仕事で楽しかった。

送られてくる大量の新譜のCDの中に、キリンジという変な名前のバンドがありました。
それが僕とキリンジの最初の出会いでした。
いかにもインドア派の文化系と思われるナヨナヨした声は、最初あんまり好きではなかったですが、何度か聞くうちにその曲調、絶妙なコード進行がソフトロックっぽかったり、達郎ぽかったりで好きになっていきました。
兄弟でやっているというのも、どこか謎めいていた。

あれからもう20年近く経っちゃったんですねえ。
弟はバンドを脱退して、今はお兄ちゃんだけが名前を引き継いで別のメンバーとバンド形式でキリンジを継続しています。
それまでまったく気にしてませんでしたけど、弟がバンドを脱退する時に調べてみたら、自分の好きな曲は、ほとんどすべて弟の書いた曲だったということを知ります。
「YOU AND ME」「双子座グラフィティ」「雨は毛布のように」、そして「エイリアン」。
これはすべて弟の堀込泰行の作詞作曲だったんですね。
もしかすると、こんなに素晴らしい曲を一人で書けると自信を持った弟は、兄の元を離れて自身の道を歩みたくなったのだろうか?と勝手なことも思ってしまいますね。



去年フリーソウルから出たキリンジのコンピレーション、これは素晴らしいベスト盤。
やっぱり橋本徹はやりますねえ。
松本家では相当なヘビーローテーションになっています。

小さな夢の実現 ロンドンへ その4

松本 知彦 for Private Time/2015.01.27/私の履歴書私の履歴書

前回の続き

「知彦、これ進めてくれるか?」
すべてはこの言葉から始まりました。
既に寝たきりになっていた父は、単行本「たばこ屋の娘」の出版を、息子である僕に託したのでした。
しかし、僕にはこの言葉が「たばこ屋の娘」の出版だけでなく、それ以外の何かを息子に託そうとする言葉のように聞こえてならなかった。
それまで一切家族に話さなかった、触れさせなかった自分の仕事を、初めて息子に依頼した言葉だったからです。
父が仕事のことを僕に自分から話したのは、これが最初で最後でした。
とても短い言葉ですが、僕にとっては特別な響きを持った言葉のように聞こえたのです。

img「たばこ屋の娘」に収録されている「花の新宿」

img2年前に出版されたフランス語版「たばこ屋の娘」

img昨年出版された「花の新宿」の英語版

思えば僕は、家族として接する父の姿しか知りませんでした。
父の仕事について、家庭での父親として以外の彼について、まったくと言ってよいほど知らなかった。
家庭内で、マンガの本や仕事の話はタブーであり、父親は、家族を仕事から常に遠ざけようとしていたように思います。
亡くなる3ヶ月前に聞いた言葉によって、それがゆっくりと動き出した。
父のことを調べていく過程で色々なことを知り、父が残した作品をカタチにしよう、そんなことを考えるようになりました。
その想いは最終的に、小学館からの作品集の出版へと繋がっていきます。

しかし本を作りたいという気持ちがあっても、1つの大きな課題がありました。
作品を掲載して見せるだけでは、伝わらない部分があるということ。
それは作品が世に出てから、60年も経過していることに起因しています。
発表当時、いくら革新的な表現であったとしても、その後に登場した多くの作家によって模倣され、磨かれ、進化し、現代では極めて当り前の手法になってしまっているという問題です。
作品を見せただけでは、多くの人には、ただの古臭いマンガとしてしか映らない。
それは名作と言われる1950年代の古い映画を見ている感覚と同じでしょう。

作品が発表された当時のインパクトを伝えるためには、どうすればいいだろう?
そのヒントは、父の生前のインタビューの中にありました。
「作品が登場した時の斬新さは、当時リアルタイムでそれを見た人、体験した人の言葉を羅列することでしか現代の人に伝えることはできない。」
当時リアルタイムで父の作品を読んでいた人に会おう、その考えに至ったのは自然の成り行きでした。
しかし、父の仕事に対してまったく感知していなかった自分にとって、この進行は相当に大変なものとなります。
当時誰が父の作品を読んでいたのか、その中で誰に会いに行けばよいのか、彼らの名前も、住所も連絡先もわからない、それを調べる作業からやらなければなりませんでした。
まったく知らなかった父の仕事、息子が知らなかった父親の違う側面、1枚1枚ベールを剥がすような作業は、驚きと発見、そして郷愁が混じり合う不思議な体験になったのです。

すべてを手探りで進めなければならない作業は、非情に時間がかかる上に困難で、諦めようかと思ったこともありました。
そんなとき、何度も助けられた言葉があります。
この言葉があったからこそ、本を作る気持ちを持ち続けることができた。
迷ったとき、いつもこの言葉に立ち返って、自分がやっていることは間違っていない、そう確信して再び前に進もうという気持ちになれました。
常に僕を勇気付けてくれた。

img1978年に書かれた桜井さんの本。

imgその中に父を紹介している記述があります。

以下抜粋
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毎日新聞のベストセラー調査で3位に入った松本の作品は、「サボテンくん」と言った。
僕や辰巳が八興に寄稿していた作者たちの中でもっとも興味を持ち、影響を受けたのは彼の作品だった。
松本の作品は、新人作家が誰でも持っていた手塚治虫の影響からも既に脱し、独自の表現領域に足を踏み入れつつあると感じられたのである。(中略)
現在の劇画の手法は松本のマンガからはじまり、中間で多くの作者の工夫の積み重ねからなっているのである。
僕は何事も革新は出来上がった秩序の修正や手直しからは生まれず、どろどろとした異端なものの中から発芽するものだという確信を持っている。
その意味で、松本正彦は現在の劇画に至る当時のマンガの真の革新者だったと言いたいのである。
(桜井昌一「僕は劇画の仕掛人だった」 1978年 エイプリル出版)
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マンガ家であり、評論家であり、辰巳ヨシヒロさんの実兄、劇画工房のメンバーでもあった桜井昌一さんの言葉でした。
父がいなくなったあと、父親の部屋の本棚にひっそりと差し込まれていた1冊の本の中に、この言葉を見つけた時は、とっても嬉しかった。
大いに勇気付けられました。
桜井さんは既に亡くなられていましたが、住所を調べて、お宅にお邪魔させていただきました。
桜井さんの奥さんにお会いして、当時の貴重なお話を色々伺う中で、奥さんが父の母親(僕の祖母)とも交流があったことがわかって嬉しかった。
仏壇にお線香をあげながら、僕はあることを感じていました。
父が僕をここへ来させたのかもしれない、僕は父の代わりにここへ来たんだ。
仏壇の前で、ありがとうございますと桜井さんに伝えながら、きっと生前父もそう思っていたに違いない、と心の中で感じていました。
続く・・・

その1はこちらから。

その2はこちらから。

その3はこちらから。

オリジナルラブ/月の裏で会いましょう

松本 知彦 for Private Time/2015.01.22/音楽音楽

僕が大学を卒業する頃に、GSブームというのがありました。
GSってあのGS、そうグループサウンズのことです。
多摩美で活動していたファントムギフトというGSのバンドが有名でした。

その周辺には他にもたくさんのバンドがいて、モッズやガレージパンクを巻き込んで、インディーズながら1つの大きなブームになっていました。
彼らが志向していたのは60年代の英国音楽、またはアメリカのガレージサウンドやサーフロック、はたまたシュープリームスのようなガールズグループでした。
それらを当時のファッションフィルターを通して、彼らなりに昇華した音楽。
マニアックなレコードコレクターたちが志向する音でしたね。
ワウワウヒッピーズ、トゥエンティーヒッツ、ストライクス、コレクターズ、GOGO3、ペイズリーブルーなどなど、現在も活躍するバンドも含まれていますが、彼らはよく新宿JAMに集まってライブを行っていた。
僕も友人に誘われて見に行ったものです。

img車の中で聞いてます。

その中にオリジナルラブがいました。
GSやガレージのブームの中にオリジナルラブが混じっていたのは、ちょっと変な気もしますが、当時はファントムギフトと一緒によくライブをやっていましたね。
しかし、GSのようにレトロ志向の固定フォーマットを持たないオリジナルラブは、GSブームから抜け出し、少しずつメジャーへと移行して行きました。

当時渋谷のファイア通り沿いにHiFiという中古レコード屋があって、オリジナルラブの田島さんはそこでアルバイトをしていた。
彼が働いている時に僕もレコードを買いに行ったことがあります。
そんなGSブームの後期には、ファンクやジャズ、レアグルーブをベースにした多くのバンドが登場します。
イギリスではACID JAZZのブームが起きていました。
ワックワックリズムバンド、クールスプーン、クルーエルレーベルに所属するバンドたち(僕もその中の1つで演奏していたことも)、その中でもエリーが英語で歌うラブタンバリンズは物凄く売れた。(カヒミカリィも売れたけど)
やがてそれらのバンドは渋谷系と呼ばれるようになります。
GSブームから出てきたオリジナルラブも、なぜかこの渋谷系に括られていました。
最終的に同じ大学の後輩であるフリッパーズギターと、青学出身のピチカートファイブの登場によって「渋谷系」は全国に広まっていきます。
田島貴男もピチカートに加入していた時期もありました。
でも僕はGSブームと渋谷系は、基本的に別モノだと思っています。
まあ、渋谷系っていうのはHMVが勝手につけた括りですが。



ちょうどその頃、松雪泰子が主演する「バナナチップスラブ」という深夜番組が放映されていました。
その番組の主題歌が、オリジナルラブの歌う「月の裏で会いましょう」だった。
GSから出てきたオリジナルラブが、メジャーシーンで最初にヒットを飛ばしたのがこの曲だったと思います。
僕はこの歌が大好きでしたねえ。
数年後、英国からブランニューヘヴィーズが来日した際、前座を務めた彼らのライブもよく覚えています。
つい最近FREE SOUL(こちらも20周年)でオリジナルラブの90年代のコンピが出ました。
今聞いてもまったく色褪せない音、よく聞いています。

寄生獣 前編 2014

松本 知彦 for Private Time/2015.01.20/映画映画

会社を作って間もない頃、一番最初に受注した仕事が、講談社のモーニングという漫画週刊誌のサイト構築でした。
全然実績のない小さな会社に、メジャーな大手の出版社が、しかもみんなが知っている本に関連する仕事を直接発注してくれたことが当時とても嬉しかった。
サイトを作った後、毎週雑誌発売と同時に情報を更新する業務にはじまり、本誌のページデザイン、はたまた単行本の装丁、マンガCD-ROMの制作まで色々やらせていただきました。
毎週タダでマンガが読めるというのも、(僕は置いておいて)スタッフにとっても楽しい仕事でしたね。

img20年ぶりに全巻読みましたが、面白い!

その頃モーニングに連載されている中で人気のあったマンガといえば、「沈黙の艦隊」「課長島耕作」「えの素」などでした。
会社設立と同時にその業務を受注して、以後11年間ずっと担当することになるのですが、後半になると「バガボンド」が人気だった。
そんな中で、ちょっと異質なマンガを目にします。
それはアフタヌーンで連載を開始する「寄生獣」という作品でした。
うちのスタッフもそうでしたけれど、一部の間に熱烈なファンがいました。
人にエイリアンが寄生して人を食べるという、ストーリーの詳細までは覚えてなかったけれど、映画化されたということで見に行きました。

img予想に反して映画もかなり面白かった。

img結構マンガを忠実に映像化してるんですね。

img一番最初に寄生獣が人間を襲うシーンは、ほぼマンガと同じ。

マンガが原作の映画って面白くないものがほとんどなので、まったく期待していなかったのですが、これがかなりおもしろかった!
思わず、もう1度単行本を全部買ってしまいました。汗
20年前の追体験です。

感じたのは映画「遊星からの物体X」からの影響です。
当時もそう思っていましたが、映像になるとなおさらそれを強く感じました。
大学生で、この映画を見た時は本当に震え上がってしまった。
「遊星からの物体X」のストーリーは、南極探検隊の1人がエイリアンに襲われるのですが、このエイリアンは襲った人間のカタチになる=寄生するという特性を持っており、外見は人間とまったく同じで区別がつかない。
南極という外部から遮断された場所で、隊員同士、誰がエイリアンなのかわからないまま、1人また1人とメンバーが減っていくという話です。
人が食われるシーンが恐ろしい。。

imgファーストコンタクトの1シーン。もうほとんど寄生獣です。

「寄生獣」では、寄生された人の髪の毛を抜くと、抜いた後にも毛が動くというのがエイリアンを見抜く方法として紹介されますが、「遊星からの物体X」では血に熱を加えると動物のように逃げる反応をするというものでした。
他にもエイリアンは人を食って寄生するというコンセプト、2人きりになった時だけ正体を現わすなど、類似点が多くあります。
ジョン・カーペンター監督の「遊星からの物体X」の公開は1982年、「寄生獣」の連載は1988年ですから、間違いなく「遊星からの物体X」にインスパイアされて制作されたものでしょう。

img「遊星からの物体X」は、画像でも恐ろしすぎ・・・・

この「遊星からの物体X」は、2012年にその続編「遊星からの物体X ファーストコンタクト」が公開されました。
これも見ましたが、CGの技術は格段に上がったものの、ストーリーは最初の方が面白い。
心理描写の緊張感がハンパじゃないです。
「寄生獣」は、「遊星からの物体X」にいくつかのヒントを得て作られているものの、そこに親子愛や恋愛というテーマを重ねていて、特撮シーンもグロくないので、楽しく見ることができます。
子供でも大丈夫。


原作もよいですが、「寄生獣」は是非映画館で見て欲しいです。
そのあとに、「遊星からの物体X」もDVDで是非。
4月に公開される「寄生獣」の後編が待ち遠しいですね。

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